2011年10月6日木曜日

自分にできること、できないこと。 ~相手を思いやる気持ちの大切さ~

 こんにちは、理学療法士の山本です。最近、風が冷たくなってきてすっかり秋の装いですね。僕は、一年の中で夏から秋に変わる瞬間が一番好きです。カンカン照りの夏の日差しから、少し寂しげな秋の太陽。秋風の冷たさが胸にしみわたるというか、すがすがしい空気でおなかがいっぱいになって幸せな気持ちになります。みなさんもそんな気持ちになる瞬間はありませんか?
 
 余談はさておき、僕は理学療法士という仕事をしています。簡単に言うとリハビリの仕事ですね。脳卒中になって手足の自由が利かなくなったり、足の骨を折って歩けなくなったり。そんな患者さんたちの、少しでも良くなりたい、少しでも歩けるようになりたいという気持ちに応えられるよう、微力ながら患者さんのがんばりをお手伝いする仕事です。患者さんは少しでも良くなって、できるだけもとの生活に戻れるようがんばっていらっしゃいます。ただ、リハビリだけやっていれば良くなるわけではなく、患者さんの全身状態の把握や、栄養状態、普段の生活で活動性、退院後の生活環境の調整などなど、病院で働いているすべての職員が患者さんを中心としたかかわりを必要としています。
 
 さて、僕は働き出してから常に考えていること(心の片隅において、決して忘れてはいけないと思っていること)があります。それは、自分にできることがあっても、それ以上にできないことがあり、そのできないことは誰かがやってくれているということ。どの職業だから凄いとか、どの立場だから偉いとかそんなことは正直どうでもいいことだと思います。みんなそれぞれ自分の役割を果たしているから病院が成り立っているんだということ、そんな自分以外のほかの人を思いやる気持ちが大切なんだということです。
 
 僕は病院の中で、できることといえばリハビリです(まだまだ勉強中の身ですが…)。たまたまリハビリができるというだけでほかのことはあまり得意ではありませんし、できないことがほとんどです。病院ではいろんな人が働いています。まず、チームのリーダーとして患者さんの医療面の管理と病状説明を行う医師、精神的・身体的な援助とともに、日々の生活の中で必要な動作のお手伝いをする看護師、洗面・排泄・食事・入浴などの介助を中心に安心・安全に過ごせるようお手伝いする看護助手、医療・福祉・介護制度の相談窓口として、退院に向けてお手伝いをする医療相談員、患者さんの精神的な不安やストレスに対応する臨床心理士、状態に合わせて食事の形態を変えたり、栄養のコントロールをする管理栄養士や調理士、病院の顔である受付、検査技師やレントゲン技師、総務、警備員、清掃員など、ほんとうに多くの人が働いています。リハビリの仕事においても、起き上がる・立ち上がる・歩くなどの動作を中心にリハビリを行う理学療法士、ご自宅に帰られるために必要な身の回りの動作を中心に行う作業療法士、話すことや食べることの障害に対するリハビリを行う言語聴覚士がいます。

 これらの人たちがいるからこそ病院は成り立っていて、患者さんのために何かをしてあげられるのだと思います。僕はリハビリができるだけで、診断したり、注射もできないし、レントゲンをとることもできなれば、受付の仕事をすることもできません。自分ができないことをできる人はほんとうに凄いと思いますし、そんな相手のことを尊重してこそ、良い人間関係が築けるんじゃないでしょうか。ただ、僕らも人間なので時には意見の食い違いや、衝突することもあると思います。そんなときは「この人なに言ってるんやろ」と端から拒否するのではなく、「この人はなぜこんなことを言っているのか」と一度受け入れて相手の立場になって考えてみると、いままで見えていなかったことが見えてきたり、良い方向に進んだりします。相手も「この人ちゃんと考えてくれてるんや」ということがわかると、相手も自分の意見を尊重してくれたり、分かってくれたりします。

 自分にできること、できないこと。これは患者さんに対しても同じことです。患者さんは病気をされて、からだの自由があまり利かない状態で入院されていますが、その人が現在に至るまでに経験したこと、知り得たことは僕らの経験値をはるかに上回っています。たまたま、僕が病院でリハビリのお手伝いをさせてもらっているだけで、患者さんから学ぶことはほんとうに沢山あります。その中で一番良く学ぶことは患者さんの「やさしさ」です。患者さんは不自由なからだに鞭打ってリハビリをがんばっておられるのに、僕の体調を気遣ってくれたり、心配してくれたり。自分がしんどいときに、相手のことを思いやれる患者さんには頭が上がりません。相手を思いやる気持ちの大切さ、大事にしていきたいとおもいます。

リハビリテーション科 主任兼技師長代行
理学療法士  山本 幸司

地域連携室だより

 八月の暑さの中、宮城県石巻市など震災後の地へ出向く機会を与えられた。津波の後の瓦礫などは、ほぼ撤去されていたものの、壊れた家々が所々に残っていて人の気配は少ない。街中一帯が、一種空虚でうつろな時間が流れて奇妙な感覚にとらわれたが、倒壊家屋の解体・片付け・整理などのお手伝いをした。
 
 そんな中、ある家の二階にピアノが残っていた。ご婦人がそのピアノを、とある町の学校に寄贈されるとのことで二階から降ろすお手伝いをした。移動が終わった後、そのご婦人が最後にそのピアノを弾いてほしいと言われた。作業に加わっていた若者と牧師が賛美歌を演奏し皆で賛美した。演奏後ご婦人は淡々と「ありがとうございました」と皆に挨拶をされた。ピアノは車に載せられ去って行く。おそらく津波で亡くなられた娘さんの愛用していた思い出のピアノ。ご婦人はどんな思いで最後のピアノの音色を聴き、何を思っていらしたのだろうか。
 
 このご婦人と私たちは、震災がなければ出会わなかったであろうし、このピアノの最後の音色を共に聴くなどということもなかったに違いない。復興の声が高らかに響く震災後の地では、こんな光景がいまだに日常の中に無数に存在している。この先このご婦人にはもう会うことも無いかもしれない。八月の震災の地は暑く、心に言い知れぬ傷を受け、悲しみを抱えたままでも前を向いて生きていこうとする人の心の営みが、むしょうに胸を熱くしてやまない。

我が家の一姫二太郎

 一姫二太郎とは、「最初に女の子、次に男の子が生まれたほうが育てやすい」という意味です。子育て経験のある方はご存知かと思いますが、女の子と男の子は全く性質が異なり、母の必要体力も異なります。女の子は自分の周辺で遊んでくれる事に対し、男の子はまとわり付きからかなり広範囲までテリトリーが広がります。よって、追うほうも半端なく体力が要ります。階段の5、6段上から飛びかかる、頭の上から落ちてくるなんて当たり前。小猿のようです。多少痛い目にあっても全く懲りず…。生傷が絶えません。男の子が丸坊主にするとよく傷跡がある理由がわかります。
 
 女の子は自分の世界が早くから出来るらしく、それほど親を使って遊ばなかったような気がします。我が家の娘はそれでも破壊魔なので、傘を使えば一日で壊す…。自転車急ブレーキで転がりめがねを割る…。自転車で階段から降りサドルを割る…。ちょっとびっくりしますが、人を巻き込んでいないのと大事には至っていないので私的にはぎりぎりセーフ。
 
 こんな日常の中で、なかなか自分の時間を作ることはできませんが、少しでも自分の時間を作る為に私は早朝を利用します。夜は親が起きていると一緒になって起きているので、なるべく早くに寝てしまい朝に活動します。朝はまわりも静かで空気も澄んでおりなかなか快適に過ごせます。家族の中でこの早朝活動を実行できるのは現在の所私だけなので(あとの家族は朝に弱い)自由に好きなことをして過ごしています。今はまだまだ子育て世代なので自由な時間は少ないですが、親に懐いているのもあとしばらく?と思い、怪我のないように日々の成長を楽しみながら乗り越えて行きたいと思います。

理学療法士 T.M

2011年8月5日金曜日

地域連携室だより

 当院は、リハビリの提供を中心に行う病院です。現代医療の中でリハビリが担う役割と、それに対する期待は大きなものがあります。が、リハビリは万能でないことも、よく知らなければなりません。リハビリが、損なわれた身体機能等を元にもどして、総てを解決してくれるものではないからです。今や、「いのち」の神秘にこんなにも肉薄している時代はありませんが、その終わりを克服することは出来ず、「いのち」そのものは、神の領域であることに変わりはありません。私達が持っている「いのち」はこの世では永遠でなく、はじめがあり、終わりがあります。誰もがはじめを経験した以上、例外なくその終わりを体験せねばなりません。そう考えると人は意味ある終わりをどう迎えようかと、どこかで思っているのではないでしょうか。もし、そうであるならば、人はそこに辿り着く為に意味ある人生を模索していて、それは、とりも直さず人が今をどう生きてその存在を確認するかという事に他ならないのではないでしょうか。

 意味ある人生、そしてそこに何らかの障害が起きた時、人はそれを克服して、もう一度自分の「いのち」の意味を問い直し、その存在を確認しようとする。リハビリはそれを手助けする為に存在するのではと思うことがあります。リハビリも、そしてリハビリを提供する者も、その事をふまえてより謙虚に、人と、その限りあるけれどもその人にとって意味ある人生に向き合う存在でありたいと切に願うのですが。

夏に思うこと

 六月に入り今年も暑い夏を迎えようとしています。山々の緑が美しく、眩しい頃です。私は愛媛県にある大洲市という所で幼少期を過ごしました。典型的な田舎という感じの城下町で、周囲を山や川をはじめ、自然に囲まれたのどかな町です。毎年夏になると近所の山にセミを取りに行ったり、川に魚を釣りに行ったりと、朝から晩まで駆けずり回っていました。幼い頃は、夏が来るとなにかワクワクした気分で楽しみでした。海や山へと遊びに行く機会が多かったからでしょうか。

 やがて少しずつ大人になってゆき、京都に住んでもう九年が経ちました。最近ではそういった気持ちもなくなってきたように思います。あの頃の純粋で瑞々しい少年の心が今現在でも自分の中にあるのだろうかと夏を迎えると思うときがあります。だんだん感じる事が難しくなってしまったのでしょう。今年の夏は自然の中に足を運び青空の下で太陽を浴びながら、自分自身をリフレッシュ出来るような時間を作りたいと思っています。

 今は時代が変わり、子供たちの遊び方も変容してきています。家の中で遊ぶのもいいですが、それよりも外に出て思いっ切り自然の中で遊んで欲しいものです。もっとも都会ではなかなか難しいですが…。しかしそうする事で身体も心も豊かになっていくと思います。最後に今回の東北・関東大震災の被害に遭われた方々に謹んでお悔やみ申し上げます。一日も早い復興を祈っております。

言語聴覚士 D.M

リハビリテーションとチーム医療

 リハビリテーションといえば、野球の長嶋茂雄さんやサッカーのオシム元監督が突然の病に倒れ、リハビリテーション後に社会復帰を果たされたことはよくご存知のことと思います。リハビリテーションは、脳の血管がつまったり破れたりする脳卒中や脊髄の病気、事故や、骨折、大きな手術後などに、身体の機能の回復を図る目的で実施されます。訓練には主に理学療法士や作業療法士、言語聴覚士が携わりますが、医療介護面では医師や薬剤師、臨床心理士、看護師、介護士、社会復帰その他に関してはメディカルソーシャルワーカーや地域のケアマネージャーなど、さまざまな専門職がかかわり、患者さんを支えていきます。そして何よりも、心も身体も傷ついた患者さんの回復、社会復帰を支えるのは家族でもあります。

 特に回復期リハビリテーションでは医療制度で決められた期間内に社会復帰を目指すため、運動機能訓練、認知機能訓練だけでなく、入浴や調理、趣味活動などの訓練、住居の改修、福祉用具の選定、家族への介護指導、在宅介護サービスの準備と実にさまざまな取り組みが必要となります。そのため、多職種よりなるリハビリテーションチームが家族とともに連携を図る必要があるのです。また、よりその患者さんらしい人生を実現するためにスタッフが今までの生活を理解した上で、今後の生活に対する本人や家族の思いをしっかり受けとめていくことも必要です。

 ただ、スタッフががんばれば機能は回復するというわけではありません。回復のためには患者さん自身が障害と向き合い、克服しようという意欲が不可欠です。しかし、中には病気によって患者さん本人が自分の病状を認識できないという場合もあります。さらに、突然の病や事故で心まで傷ついてしまった患者さんにとって、しっかりと現実を見据えて意欲的に訓練に取り組むということは実はとても難しいことでもあります。できれば今置かれた過酷な現実から目をそむけ、元通りの身体にしてほしい、明日、目が覚めたら以前の自分に戻っていたいと多くの患者さんが願っておられることでしょう。また、再生医療が叫ばれ、臨床応用が期待されていますが、残念ながら現在の医療では、失われた機能を完全に回復させることが難しいことも多く、望みどおりの結果が得られるとは限らないという現実もあります。リハビリテーションには瞬時に効果の出る特効薬や必ず効果が出る処方箋はありません。皆が患者さんの心と身体を支えながら、知恵を出しつつ一歩、一歩進んでいくのです。

 リハビリテーションを必要とする代表的な病気の一つに脳卒中があります。脳の血管の障害で脳の組織の一部が損傷を受けます。脳はそれぞれの部位で異なる役割分担を担っているため、損傷部位によっていろいろな症状をきたします。運動麻痺や感覚障害に加え、言語障害や嚥下機能(ものを飲み込む能力)障害、また、日付や場所がわからなくなる、物事を覚えることができない、計算や読み書きができない、順序立てて物事を考えることができない、集中して作業を行えないなど社会生活に支障をきたすさまざまな症状が出ることもあります。以前と比べ、怒りっぽくなった、涙もろくなったなど、本人の変化に家族も困惑してしまうことがあります。運動麻痺が改善して歩けるようになったとしても、場所を認識する能力が回復していない場合、一人で外出することは難しくなります。社会復帰のためにはそれぞれの障害の回復の状況に応じた支援が必要です。

 もう一つ、リハビリテーションを必要とする病気の一つに大腿骨骨折があります。若い人でも、たまたま、事故や不注意で骨折するケースもありますが、骨がもろくなっている高齢者に多くみられる骨折です。手術後の安静期間が長引くと筋力が低下し、骨折は治ったのに歩けないということにもなりかねません。そのため、手術後早い時期からのリハビリテーションが必要となるのです。しかし、リハビリテーションとは運動することであり、高血圧症や不整脈、心不全、呼吸器疾患などの持病があることも多い高齢者では慎重に実施しなければなりません。また、訓練を進める上で骨折に至った原因も問題となります。たまたま、つまずいて転んでしまったのか、もともと、歩行時のふらつきがあったのか、後者であれば筋力やバランス能力の低下が転倒の原因であり、治療に時間がかかり回復もより困難なものとなります。転んで骨折したのは大腿骨だけれど、原因は膝の変形性関節症だったということもよくあることです。また、認知症の高齢者ではご自身での安全管理や危険回避が難しく、今後の転倒予防策が大きな課題となります。実際、片方の大腿骨を骨折された方が再び、もう片方を骨折される例は少なくありません。筋力、バランス能力の改善とともに生活環境の整備や骨折予防用の下着の着用などさまざまな工夫が必要になります。

 リハビリテーションは決して楽しいものではありませんが修行のようなものでもありません。また、周りの人が手伝いすぎると患者さん本人の能力を伸ばす妨げとなりますが、手助けをしないと転倒など本人に危険が及ぶこともあります。周りの人には患者さんを励ましつつ、その時々の能力に合わせて適切な距離を保つことが求められます。そして、これまでの人生も障害の程度も社会的な背景も異なる患者さん一人一人に対し専門のスタッフがどのような医療や支援を提供すれば良いのかを考え、これからもその人らしい生き方ができるように一緒に歩んでいます。たとえ機能回復に限界があるとしても、環境の改善や社会資源を活用することで患者さんに何か良い提案はできないかと考えながら寄り添っています。患者さんが元気になる、そして、元気が出る病院でありたいと願っています。

脳神経リハビリ北大路病院
リハビリテーション部長
牧浦 弥惠子

2011年4月25日月曜日

東北地方太平洋沖地震について

この程発生した地震で被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、
犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。
被災地の早期の復旧をお祈り申し上げます。

医療法人一仁会
脳神経リハビリ北大路病院
理事長 岡田 純
院長 岡田 達也
一仁会 職員一同

地域連携室だより

 未曾有の大震災・津波・見えない放射能汚染の恐怖と連日私たちの周りでは、これまでに体験したことのない事実が進行しています。
被災された方々に、明日への希望が示されますように祈ることしか出来ない日々であります。

 そんな中でも私たちは、病院として日常の営みを続けなくてはなりません。
当院はリハビリテーションを医療活動の中心に据えている病院です。
多くは「リハビリをしてなんとか在宅に戻って生活を続けたい」と希望する患者さんを受け入れていますが、在宅に戻るには予想以上に多くの困難があることも事実です。

 当院の相談室は三月から専従相談員を二名体制にして、そんな患者さん・ご家族の方への支援をより充実したものにしていきたいと考えています。
患者さんやご家族と一緒になって、地道に一つ一つの課題を考え乗り越えていく、患者さんにとってよりよい生活はどのようなものか、それを形にしていく、そんな取り組みができればと願っております。

 病院の相談室は、月曜日から土曜日(時間は午前九時から午後五時、土曜日は十二時まで)オープンしています。
入院の方だけでなく外来や在宅の方のご相談も承っておりますので、医療や介護について困っていることや、聞きたい事がございましたらお気軽に訪ねていただければと思います。

自然について今、思うこと

去年の夏は暑かった。
日本全国で猛暑のために熱中症で倒れたというニュースが連日テレビや新聞で報道されていたのはまだ記憶に新しい。
最近は地球温暖化問題から「自然を守ろう」や「地球を守ろう」のスローガンをよく耳にすることがあるが、何か違和感のようなものを感じていた。

小学生の頃に「一人で川に遊びに行くな」「山に遊びに行くな」と両親に注意されていた記憶がある。
それでも内緒で川に遊びに行って靴を流されたり、夕方まで遊び暗い山道を怯えながら帰ったりと楽しかった反面、苦い思いもした。
私にとって山や川は楽しいだけの遊び場でなく、同時に怖い場所としてその後も記憶の片隅に今も残っている。

人の生活や文化は河の周囲から生まれたというように人は自然の恩恵を受けてきた。
同時にまた、肥沃な土地に生まれ変わるために濁流となって周囲の田畑や村を流しさってしまうという自然の圧倒的な力を経験してきた。

本来、自然の持つ「想定外」の力をみた時、「自然を守ろう」とする呼びかけは何か的外れに感じずにはいられない。

今回、東北・関東大震災に遭われた方々に深くお悔やみと今後の復興をこの紙面を借りて申し上げたいと思います。

理学療法士 T.T

第1回 『人形館の殺人』 綾行人

今回より、新しい連載『左京ミステリー散歩』を開始いたします。

 ご存知のように、左京区には下鴨神社や銀閣寺といった世界遺産をはじめ、観光名所が数多く存在し、多くのガイドブックで紹介されています。
ただ、私たち地元に住んでいる人間は、普段観光名所を訪れることはあまりなく、身近な場所を散策することの方が多いのではないでしょうか。

 一方、私が好きなミステリー小説でも、京都、特に左京区が舞台に選ばれる事が多いのですが、観光名所だけでなく、意外なほどごく身近な場所も登場します。
このシリーズは、そういった身近な場所が登場するミステリー小説をご紹介し、左京区のちょっと違った魅力を再発見していただこうという緩い企画です。
ミステリー小説の性質上、詳しい内容については出来るだけ触れません。
もちろん、解説や評論といったものではありません。気楽にお付き合いください。
小説に登場する実際の場所を撮った写真も掲載し、お勧めスポットとしてご紹介いたしますので、あわせてお楽しみください。

 第1回目は綾辻行人の『人形館の殺人』をご紹介します。
北白川にあるという「人形館」という建物で起こる殺人事件を描いた本格ミステリー小説です。
今回のお勧めスポットは疎水と御影通の交差点です。
ヒロインが犯人に襲われるクライマックスシーンの舞台です。
北大路病院のある一乗寺から疎水に沿って南に下がっていくと、やがて御影通を越え京大農学部グラウンドの横にさしかかります。
それまで見通しのよかった疎水道も、多くの木々が繁り、薄暗く、少し寂しい雰囲気となります。
ミステリーのクライマックスシーンにはうってつけの場所といえるでしょう。
でも、不思議と落ち着いた気持ちになり、癒されます。私は大好きな場所です。
作者の綾辻行人は京都大学教育学部出身です。
学生時代にこのあたりを散策してお気に入りの場所となり、その後自分の小説の舞台に選んだのかもしれませんね。

 綾辻行人は1987年に『十角館の殺人』でデビューしました。
当時、松本清張に代表される「社会派ミステリー」が隆盛を極めていましたが、「本格ミステリー」の復権を目指して発表されたこの作品はミステリー小説界に大きな衝撃を与えます。
以来、綾辻の後に続く若手の本格ミステリー作家が次々に登場し、「新本格ミステリー」というジャンルが確立されました。

 『十角館の殺人』から始まる『館シリーズ』は大人気シリーズとなり、現在まで8作品が発表されていますが、『人形館の殺人』は第4作目にあたります。
『人形館の殺人』はそれ自体も大変優れた作品ですが、出来れば『館シリーズ』を最初から発表順にお読みください。
その魅力を何倍にも味わうことが出来るでしょう。

(理事長 岡田 純)

365日リハビリテーション スタートします

脳神経リハビリ北大路病院が石野病院から移転し、3年目の春を迎えました。
当院が回復期リハビリテーション病院として回復期リハビリテーション病棟入院料Ⅰを取得し、早1年が経過し2年目の春となります。

今年度より当院は新たにリハビリテーション専門医を迎えることとなりました。
また、リハビリスタッフは総勢理学療法士13名、作業療法士8名、言語療法士4名となります。
リハビリを実施させていただく上でより充実したリハビリができるよう、リハビリ病院としてもますます飛躍の年になればと、思います。

当院も入院患者へのリハビリテーションを365日行える体制が整い、この4月よりスタートいたします。
つきましては365日リハビリテーションについて、簡単ではありますが紹介をさせていただきます。

365日リハビリとは、より充実したリハビリを提供する観点から、土日を含めいつでも集中的にリハビリを提供できる病棟の体制をいいます。
日曜日や祝日もリハビリを実施することで、継続したリハビリ提供ができることが期待されます。


 今年度の新たな取り組みとして、当院の回復期リハビリテーション病棟が365日リハビリの実施に向けて新たな1歩を歩むことになります。
初期段階としては、日曜・祝日は少人数のスタッフによりスタートすることとなりますが、患者さん及びご家族の満足いただける体制を築くために、日々成長できるよう努力してまいりますのでよろしくお願いします。

脳神経リハビリ北大路病院
リハビリテーション科 副主任
深見 智子

2011年1月8日土曜日

糖尿病についてのよくある質問

 糖尿病は血液中のブドウ糖(血糖)が高くなり、動脈硬化(脳梗塞、心筋梗塞、腎不全など)が引き起こされる病気です。糖尿病は何らかの原因で膵臓から分泌されるインスリン(血糖を下げる作用がある)が減少したり、効きが悪くなるため発症すると考えられています。糖尿病の治療については、薬さえ飲んでおけばそれでよい、というわけではなく食事制限と運動療法が非常に重要になってきます。今回は診察室でよく患者様から質問される内容についてとりあげてみたいと思います。

なぜ糖尿病になるのですか?

 糖尿病の原因のほとんどは遺伝的な要素(体質)であると考えられています。しかし、そのような体質を持った方すべてが発症するわけではなく、摂取カロリー過多、運動不足、肥満などがあると発症の引き金になります。ですから糖尿病の体質をもっておられない方は、どんなに食べても、あるいはどんなに体重が増えても、糖尿病になることはありません。また、ホルモンのバランスが乱れが原因になることもありますが、この場合には適切な処置で完治することもあります。

 薬さえ飲んでおけば食事制限や運動はしなくていいですか?

 糖尿病の治療薬として最も多く使用されているSU薬という薬は膵臓を刺激して無理やりインスリンを放出させるものです。ですから、この薬を長い間使っていると膵臓の細胞が疲れてしまって死んでしまうと考えられています。SU薬をできるだけ少量で使用するためにも食事制限や運動は続けなければいけません。またインスリンは血糖を下げる良い作用のほかに、動脈硬化を進めるという悪い作用もあります。ですから、食事制限や運動の不足のために血糖が上がり、それを抑えるために不必要にSU薬で膵臓からインスリンを出させることは良くありません。

 糖尿病で食事制限をしなければいけないことはわかっているのですが、ついつい食べてしまいます。何とかなりませんか?

 現在のところ食欲を抑える薬はないといえます。そもそもどのようなメカニズムで空腹や満腹を感じるのかが大まかにわかってきたのが、 10年くらい前なのです。
 現在食欲を抑える薬が開発中ではありますが、副作用などの点でもうしばらく時間がかかると思われます。将来的には食欲を調節したり、運動のかわりになる(1粒飲めば1万歩歩いたのと同じような効果があるような)薬が使用できるようになると思われます。

 テレビで新しい糖尿病の薬がでたと聞いたのですが。

 NHKで放送された後からよく聞かれます。インクレチンという消化管からでるホルモンで、インスリンを分泌する作用があり、これに関連する薬が2009年末から発売されています。先ほどのSU薬と違って、無理やりインスリンを放出させるわけではないので、膵臓を痛めることもなくむしろ膵臓の細胞は回復してくるのではないか、と考えられています。

医療法人一仁会
内科医
小林 宏正
 

理事長推薦ジャズ名盤 第9回(最終回)

第9回(最終回)
  『ザ・キング・イズ・ゴーン』/マーカス・ミラー

 前回申し上げましたように、70年代から80年代にかけてのフュージョンを中心に、ジャズの名盤をご紹介してまいりました『理事長推薦ジャズ名盤』ですが、前回に引き続き、時代の節目となった重要な作品を紹介し、連載を終了したいと思います。
 最後に紹介するのは、93年に発表された、マーカス・ミラーの『ザ・キング・イズ・ゴーン』です。キングというのは言うまでもなく、マイルス・デイビスのことです。91年にこの世を去ったマイルスへの追悼の意がこめられた作品です。実はこのアルバムの原題は『The Sun Don't Lie』というのですが、「The King Is Gone(For Miles)」という収録曲から邦題がつけられています。日本のレコード会社の人がこのタイトルの方が相応しいと考えたのだと思いますが、マイルス亡き後のジャズを考える上でとても重要な作品であり、この邦題に異論のあるジャズ・ファンは少ないと思います。
 マーカス・ミラーは第2回でもご紹介したように、80年代以降人気実力ともにNo.1のベーシストです。ジャズにとどまらず、ロック、ポップス、R&Bなどさまざまなジャンルのおびただしい数のセッションに参加し、アレンジャー、プロデューサーとしても幅広く活躍しています。81年に弱冠22歳でマイルス・バンドに参加してから、晩年のマイルスにとって最重要のパートナーとなっていました。
 そんな彼が発表した「マイルス追悼アルバム」とも言うべき『ザ・キング・イズ・ゴーン』には、やはりというべきか、「ジャズ」というジャンルの枠を超えて、彼の活躍してきたありとあらゆる音楽の要素が盛り込まれています。この作品を聴くと、マーカス・ミラーにとって、「ジャズ」のみならず、全ての音楽ジャンルは殆ど意味を成さないと感じさせられます。
 デューク・エリントンらによる「スイング・ジャズ」、チャーリー・パーカーらによる「ビ・バップ」、マイルスが提唱しジャズを頂点に導いた「モード・ジャズ」、マイルスが原型を創り、チック・コリアやハービー・ハンコックやウェザー・リポートらによって完成した「フュージョン」等「ジャズ」は時代ごとに、巨人達によってスタイルを変えつつも隆盛を極めてきました。しかし、マイルスの死後、ジャンルとしての「ジャズ」は、かつてのような勢いを失ってしまったかのように見えます。それでも、マーカス・ミラーのような、マイルスのDNAを受け継いだミュージシャン達は「ジャズ」という枠を超え、あらゆるジャンルに進出し、その存在無くしては成り立たなくなっています。言わば「ジャズ」が目に見えない形でさまざまなジャンルの音楽を縁の下で支えているのです。
 誤解を恐れずに言えば、『ザ・キング・イズ・ゴーン』はマイルス亡き後、「ジャズの発展的解消」を宣言した作品と言えるのではないでしょうか?
 約2年間にわたり連載してまいりました『理事長推薦ジャズ名盤』はこれで終了です。私の拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。
 次回より全く別のジャンルについて駄文を連載いたします。お時間ありましたら、またお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。

医療法人一仁会
脳神経リハビリ北大路病院
理事長 岡田 純

リハビリテーションについて~人間復権の医療を求めて~

「リハビリテーション」と言えば、悪くなった手足の働きを回復させるための「機能回復訓練」だというのが一般的な「常識」になっているようですが、それは実に残念なことだと思います。
 リハビリテーションとは「人間らしく生きる権利の回復」すなわち「全人間的復権」であり、過去の生活への復帰であるよりもむしろ「新しい人生の創造」なのだということを理解していただければ幸いかと思います。そこで改めてリハビリテーションという言葉の語源に立ち戻って考えてみると、リハビリテーションの語源は「再び適したものにする」、「再びふさわしいものにする」ということ、つまり人間が破門、無実の罪、名誉の喪失などの理由で、人間として望ましくない、人間にふさわしくない状態へと突き落とされた場合、それを再び望ましい状態へと立ち戻らせることです。
 「リハビリテーション≠理学療法士+作業療法士+言語聴覚士 +ソーシャルワーカー+看護師+・・・」
であるのです。リハビリテーションの本質は「全人間を見る」こと、そして人の生活と人生に貢献できるものとしての技術の生かし方を学ぶことだと思います。機能障害の治癒が可能な限りは当然それを追求する。大事なのは「たとえ治癒させえなくてもあきらめない」また「治癒が必ずしも最高の目標とは考えない」ということであり、治すこと(完全治癒)ではなく、人間らしく生きるという点において現状よりもずっと「よく」なるようにすることかと思います。機能障害よりも大事な『生活』、『人生』をよくすることで、患者様に「よくなりました」と言って頂ける事が大きな励ましかと思います。
 また、障害者とは「障害をもっている人」ということであるが、それは「障害しかもっていない人」という意味ではない。実は障害者は障害の他に、正常な機能や優れた能力、高い人格や独特の個性をもち、多くのプラスのものをもっている存在であり、たまたまある種の障害をもっているという他には、普通の人間と変わりのない、それぞれの個性や特徴をもっているのです。よって、リハビリテーションとは障害というマイナスを極力減らすことではなく、むしろ機能や能力を発展させること、すなわちプラスを増やすことでもあります。しかもそのプラスとは現在目の前にあってすぐ使える「残存能力」だけでなく、隠れてはいるが、適切な働きかけをすれば引き出すことのできる「潜在能力」が大きいのです。プラスを増やすことに重点をおきつつマイナスを減らし、その総合された効果が全体として大きなプラスになるようにすることがリハビリテーションなのだと言ってもよい。
話が少し難しくなりましたが、リハビリテーション(全人間的復権)の目標は「人生の質(クオリティ・オブ・ライフ、QOL)」の向上にあるということ。そして、「治ら」なくても「よくなる」(人生の質が上がる)ことが可能であり、それこそがリハビリテーションの目指すところだということであります。一人でも多くの患者様に「良くなった」と笑顔で言って頂けるよう、一緒にリハビリテーションのお手伝いが出来ればと考えています。最後に口語短歌集「いのち」より、
『半身麻痺を人はどうにか生きていく、そのどうにかに、いのちをかけて。』 

リハビリテーション科
K.K(理学療法士)

理事長推薦ジャズ名盤 第8回

第8回
『イン・ア・サイレント・ウェイ』/マイルス・デイビス

『理事長推薦ロック名盤』の連載は、最後に、作品自体の質の高さはもちろんですが、時代の節目となった2つの作品を紹介することで、70年代ロックを総括し終了しました。 『理事長推薦ジャズ名盤』も70年代から80年代にかけてのフュージョンを中心に、ジャズの名盤をご紹介してまいりましたが、同様に、時代の節目となった2つの作品を紹介し、連載を終了したいと思います。
 まずは、69年に発表された、マイルス・デイビスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』を紹介します。今までも再三触れてきましたが、60年代末期、マイルスが電子楽器を導入したことから、ジャズとロックの融合が始まり、フュージョンというスタイルが確立していきました。世間一般では、『イン・ア・サイレント・ウェイ』の次に発表された、『ビッチェズ・ブリュー』が、マイルスによるエレクトリック・ジャズの完成形であり、その後のジャズやロックに多大な影響を与え、フュージョンの原型となった作品であると言われています。セールス的にも『ビッチェズ・ブリュー』は大成功を収め、評論家の評価も極めて高い作品です。それに比べると、『イン・ア・サイレント・ウェイ』は決して評価として低くはないものの、『ビッチェズ・ブリュー』という頂点に至るまでの過渡期的な作品と捉えられがちです。
 しかし、私は『ビッチェズ・ブリュー』と『イン・ア・サイレント・ウェイ』は全く別の意図を持って作られた作品ではないかと感じています。特に、リズムのアプローチが全く異なります。『ビッチェズ・ブリュー』ではドラムス2人、ベース2人という変則的なリズム・セクションで、各人が自由度の高い演奏を行い、ポリリズムと言われる複雑なノリを作り出しています。それに比較して『イン・ア・サイレント・ウェイ』はドラムス1人、ベース1人のオーソドックスな編成で、単純な16ビートのリフを繰り返しています。また、『ビッチェズ・ブリュー』ではお互いに音をぶつけ合い、かなり過激な演奏をしているキーボードのジョー・ザヴィヌルとチック・コリア、ギターのジョン・マクラフリン、サックスのウェイン・ショーターといった猛者たちも、『イン・ア・サイレント・ウェイ』ではシンプルで美しい演奏に徹しています。『ビッチェズ・ブリュー』はどちらかと言うと、R&Bやファンクやさらには最近のヒップ・ホップに影響を与えた作品であるのに対し、『イン・ア・サイレント・ウェイ』の方がその後のフュージョンへの方向性を示しているように思われます。この作品には『ビッチェズ・ブリュー』には参加していないハービー・ハンコックも参加しています。この作品に参加した面々がその後フュージョンを完成させ、ジャズの隆盛に貢献したことは、すでに前回までにご紹介したとおりです。
 私はジャズ・マニアというほどでもなく、マイルスの大ファンというわけでもありません。したがって、私の持っているマイルスの作品は有名なものばかりで、どれも甲乙つけがたい名作揃いです。しかし、『ビッチェズ・ブリュー』だけは何度聞いても馴染めません。コアなジャズ・マニアやマイルス・ファンからは「耳障りのいいフュージョンばかり聴いているから『ビッチェズ・ブリュー』の良さが解らないのだ。お前にジャズを語る資格はない」と言われそうですが、別に私は評論家でも何でもないのでお許しください。
 『イン・ア・サイレント・ウェイ』は地味ですが、私のような耳の痩せた者にも聴きやすい作品です。かつ、その後のフュージョンの原型となった作品です。ぜひ、一度お聴きください。
 次回はいよいよ最終回です。

医療法人一仁会
脳神経リハビリ北大路病院
理事長 岡田 純

初志貫徹に向かって

高校3年生の時、当時私の所属していた大谷高校野球部は強力打線を武器に春の京都・近畿大会準優勝を果たした。その近畿大会で同じく出場を果たしていたPL学園高校のOB清水哲さんをお見かけしたことが、私が福祉に関わりたいと思ったきっかけである。その時は試合中に頚椎骨折で首から下が麻痺状態となった人だという風にしか感じていなかったが、高校野球を引退し、3年間を振り返ってみると、なぜかそのエピソードが一番に思いだされたのである。その瞬間図書館に走り無我夢中で清水さんの著書を読み、そして社会福祉系の大学を受験するに至った。
 大学では引き続き野球部に所属しながらも、障害者福祉を学び、実習先である障害者施設の利用者様が外泊から満面の笑みで「家はよかった」と話された姿をみて在宅の力の素晴らしさに気づかされた。
 そんなこともあり、大学卒業後在宅復帰をコーディネートできる仕事と思い介護老人保健施設に就職を決めた。しかし実際に支援相談員の仕事をしていく中で、私がやりたかったこととは逆の、在宅で生活できる方を、無理に施設にかき集めてしまっているのではないかという思いが次第に強くなってきた。
 そんな気持ちで仕事を行ってきた平成21年の秋、高校時代の1学年上の野球部の先輩が、プロ野球選手にとっては高齢の26歳という年齢でドラフト指名を受けたということをニュースで耳にした。 
 その先輩は夢を諦めず、努力をしてきたことでついにプロという門を叩くことができたのだ。そのことを知った私は、フィールドは違えど、自分も本当にやりたい仕事を目指すべきではないかと勇気をもらった。そして、純粋に在宅復帰へのコーディネートができる回復期リハビリテーションのMSWになりたいと思い、この病院に入った。
 今年先輩は一軍のマウンドで投げている。私もさらにソーシャルワーク技術を磨き一人のソーシャルワーカーとして北大路病院の一員として発展していければと思う。

社会福祉士 T.R