2013年1月4日金曜日

家庭菜園に現れる○○

 修学院にある自宅の裏庭で家庭菜園を始めて早一年半。冬場は寒くて畑の手入れもできないので今は何も育てていませんが、春から夏にかけてのお話しを少し。
 一昨年は初めてという事もあり、ジャガイモを育ててみました。どれくらい収穫できるか期待しつつ、すくすく育ってくれたジャガイモは子供達と一緒にイモ掘りをし、そこそこの量収穫することができました。
 去年はもう少しいろんな種類を育ててみようと、トマト、キュウリ、枝豆、ししとう等6種類ほどの苗を植え育て始めました。と言っても畑の世話をするのは旦那さんなので『育ててくれました』が正解ですが。私と子供達はいつ食べれるかなぁ…と待つのみです。
 初夏。トマトは赤く色付き、キュウリやししとうはすくすく大きくなって、毎日食卓に出しても食べきれないくらいの豊作。旦那さんの手入れのおかげです。キュウリが嫌いな旦那さんが一番楽しみにしていた枝豆がもうそろそろ食べ頃だな、というところまで育ってきた頃、事件が起こりました。
 夕方、子供達と庭で遊びながら「明日枝豆収穫しよか」と話していた矢先、私たちの横を何者かが通り過ぎる気配。サルです。「あっ」と思った次の瞬間、収穫間際の枝豆を片手に隣の屋根の上へ。激怒している旦那さんを背にサル達は塀を越え屋根を越え、かろやかに山へ去って行きました。
 近所の方曰く、ここ数年サルの被害が増えてきたそうです。簡単に食料を調達する方法を知ったサル達はたびたび山を下りてきます。行政も対策はされているようですが…。
 リベンジとばかりに育てたトウモロコシ。やはり収穫前のおいしそうに育った実だけを食いちらかされました。かしこいというか、なんというか…。人に被害が出るのだけは避けたいものです。
 
看護師 N.Y

リハビリテーションにおける『責任』と『情熱』

 こんにちは、リハビリテーション科の山本です。最近特に寒さが増してきて、毎日震えあがっています。体調をくずさないようみなさん気をつけてくださいね。私の財布は体調をくずしてスッカラカンになっています。みなさん無駄遣いに気をつけてくださいね。
 さて、先日読んだ本にこんなことが書かれていました。49歳で交通事故に遭われ脳挫傷で四肢麻痺になられた方のリハビリ闘病記です。その方は企業の第一線で働いておられ在職中は『責任感』や『コスト意識』など問題点を常に考えながら行動されていたそうです。

 「入院中、患者は『時間』『労力』『経費』を使っている。それらをリハビリスタッフの方たちはどんなふうにとらえているのだろう?企業と違って結果が数字となってあらわれないからこそ、『責任』の意識がより必要になってくるのじゃないかな?」
 「リハビリは一日も休むことなくやってきたが、本当に回復感がないんだよね。自分はいつも全力投球してるつもりだけど、相手(療法士)は全力投球をしてくれてないみたいに感じるんだよね。」
 「なぜこんなにリハビリスタッフの方たちとの一体感が感じられないのかねえ?たぶん、わたしが感じているのはスタッフの方々に『情熱』を感じないんだ。治してくれる気があるのだろうかと疑ってしまいたくなるような。『いい仕事をする』の条件の中で『情熱』を除くことは出来ないと思うんだけど、皆さんそんなものなくてもいいのかねえ?」

 リハビリテーションにおいて何が大事かといいますと、さまざまな知識や技術はもちろん大事ですが、この方も言っているように私は『責任』と『情熱』なくしてリハビリはあり得ないと考えています。療法士にとっては数多くいる患者さんの中の一人かもしれませんが、患者さんにとっては担当の療法士は一人なわけで、私たちは担当した患者さん一人一人に対して分け隔てなく一生懸命関わらなくてはなりません。ベテランであれ新人であれ、担当した患者さんに対して全力で接しなくてはいけないと思っています。「これくらいでいいだろう」とか「自分は新人だから」とかそういう問題ではないのです。当院の様にリハビリ病院であれば特に、患者さんはリハビリをして良くなって家に帰るために入院して来られます。私たち療法士からみて「どれだけよくなったか」だけではなく、患者さんにとって「退院後の生活が満足のいくものになるのか」患者さんが「当院に来てよかったと感じられるか」でありそこに私たち療法士がどれだけ『責任』の意識をもてるかだと考えています。
 また、患者さんにとっては突然のけがや病気で入院することになり、日々のしんどいリハビリをこなしていく中で、身体的な疲労もそうですが、精神的にも疲労が溜まりどれだけモチベーションを保てるか、頑張ろうと思えるかも大事なことです。そのために私たち療法士は患者さんのためにどんなことが出来るのか一生懸命考え、一言一句患者さんの気持ちに配慮した声掛けで関わり、一人で頑張るのではなく、私たちも一緒に頑張るんだという『情熱』をもって接するべきだと考えます。
 先程の本の著者も最終的に、一年半の転院生活の末、良い病院、良い療法士に巡り合うことができ自宅へ退院されました。その病院でのことを次の様に書いておられます。

「自分が歩けた現実よりも先に、入院してからの2、3ヶ月の間、一生懸命共にリハビリに取り組んでくれた理学療法士さんの熱意に私は感動を覚えてました。」
 「いつしか私の気持ちの中でリハビリをして回復することは自分自身や家族のためであるのは当然なのですが、同等かそれ以上に情熱的で親身になってやってくれるリハビリスタッフや看護師、医師の皆さんのためにも問答無用に頑張らねばならないと強く思い始めてました。」
 
 自分が歩けたことより、一緒に頑張ってくれた事に感動してもらえることや、自分や家族と同じくらいに考えて頑張ってもらえること、療法士からすればこれ以上ないぐらい嬉しいことだと思います。私も想像するだけで嬉しいです。
 当院は若い療法士も多いですが、その分柔軟性に富み、ガムシャラに、一生懸命、患者さんのために努力を惜しまない療法士ばかりそろっています。リハビリテーションにおける『責任』と『情熱』、胸に刻んで日々精進していきたいと思います。

リハビリテーション科 
主任兼技師長代行  山本 幸司


出典:池ノ上 寛太 『リハビリの結果と責任』
三輪書店