2010年8月26日木曜日

胃食道逆流症について

 胸が痛いとき、循環器内科や呼吸器内科を受診される方が多いと思います。もちろん、それは正しい選択です。また、喉の痛みや違和感があるとき、耳鼻咽喉科を受診される方が多いと思います。もちろん、それも正しい選択です。でも、胸部や頚部には「消化器」の一部である「食道」があることも頭の片隅においていただいて、胸や喉の症状があるときに、消化器科や胃腸科を受診することも選択肢の一つに加えていただきたいと思います。
 食道の病気でもっとも身近なものが「逆流性食道炎」です。かつては、欧米人に多く、日本人には少ないといわれていましたが、最近は 日本人にも増えています。胃酸が食道に逆流するために起こる病気で、肥満やカロリーの高い食事などが原因となりますので、日本人の食事の欧米化とともに、増加しているといわれています。また、高齢者では胃と食道の間にあって、胃液の逆流を防いでいる下部食道括約筋の機能が低下してくるため起こりやすくなります。背中が曲がった方や妊娠している方も胃が圧迫されるので、起こりやすいといわれます。ピロリ菌除菌後の副作用として出る場合もあります。
 診断には上部消化管内視鏡、いわゆる胃カメラを用います。食道の粘膜がただれていたり、赤くなっていたりしていれば診断がつきます。ただし、胃酸が逆流していても食道の粘膜に異状がみられないこともあり(「非びらん性胃食道逆流症」と呼ばれます)、内視鏡だけでは診断がつかないこともあります。こういった場合、胃酸を抑える薬を内服してもらい、症状が消失するかどうかで診断したり(診断的治療)、ペーハーセンサーを鼻から食道と胃に留置して胃酸の逆流を調べる検査法もあります。食道粘膜に炎症所見のある「逆流性食道炎」と炎症所見のない「非びらん性胃食道逆流症」をまとめて「胃食道逆流症」と呼んでいます。
 「胃食道逆流症」の治療法としては、「プロトンポンプ阻害薬」あるいは「H002ブロッカー」といった胃酸を抑える薬が中心となります。胃の動きを良くして食べ物がスムーズに十二指腸に流れるように「消化管運動賦活薬」を飲んでいただくこともあります。
 症状としては「胸やけ」「呑酸(口の中にすっぱいものがこみ上げること)」「げっぷ」といった比較的わかりやすいものから、冒頭に書いたように「胸の痛み」「喉の痛み・違和感」といった一見消化器とは無関係のようなものもあります。時には「咳」といった呼吸器疾患のような症状が起こることもあります。もしやと思う方は一度消化器科や胃腸科でご相談されてはいかがでしょうか?

医療法人一仁会
脳神経リハビリ北大路病院
理事長 岡田 純

理事長推薦ジャズ名盤 第7回

第7回
 『リターン・トゥー・フォーエヴァー』 /チック・コリア

 前回に引き続き、チック・コリアの作品を紹介します。ロック番外編を含めると3回目の登場です。実は、私の一番好きなジャズ・プレイヤーはマイルス・デイビスでもチャーリー・パーカーでもなく、チック・コリアなのです。そのチック・コリアの最高傑作と言われているのが、今回紹介する72年の作品『リターン・トゥー・フォーエヴァー』です。水面すれすれに滑空するカモメのジャケット、ラテン・フレーバー漂うチックによるオリジナル曲の完成度、スタンリー・クラークによる超絶技巧ベース・プレイ、そしてもちろんチックの華麗なキーボード・プレイ、どれをとっても完璧です。この作品はジャズのアルバムとしては異例の大ヒットとなり、チック・コリアもその後この作品の延長線上にある何枚かのフュージョン作品を「 リターン・トゥー・フォーエヴァー」名義で発表することになります。ロック番外編で紹介した『浪漫の騎士』はその中の1枚ということになります。『リターン・トゥー・フォーエヴァー』はチック・コリア自身にとってもターニング・ポイントとなる重要な作品なのです。
 同時にこの作品はジャズ界全体にとっても大きな意味合いを持つ作品です。まず、ラテンのリズムやフレーズを巧みに取り入れたスピーディーでスリリングな曲調そのものが、その後全盛を迎えることになるフュージョンの雛形となっていきます。また、演奏スタイルもその後のジャズに大きな影響を与えました。チックはこの作品の中でアコースティック・ピアノを一切弾いていません。全てフェンダー社製の「ローズ」というエレクトリック・ピアノを使用しています。曲調にマッチしたその透明感のある爽やかな音色は、その後のフュージョン・サウンドに欠かせない要素になり、80年代にデジタル・シンセサイザーが登場するまで、全盛を極めます。余談ですが、チックに「ローズ」を弾くように勧めたのはマイルスだそうです。
 数多あるジャズの作品の中で1枚だけ選べと言われれば、私は迷わずこの作品を選びます。
 
医療法人一仁会
脳神経リハビリ北大路病院
理事長 岡田 純

診療情報管理士って何?

私たち病院が取り扱う診療情報は何もカルテだけとは限りません。他にも検査結果はもちろんレントゲンフィルムや様々な同意書に至るまで診療の過程で病状や診療などについて病院の関係者が知り得た情報すべてが診療情報なのです。その多くの情報を適切に管理しているのが診療情報管理士です。
じゃあ、診療情報管理士って具体的に何する人なの?という疑問はほとんどの人が持つのではないでしょうか。確かになかなか聞きなれない職業ですし、言葉から想像するのも難しいと思います。
 私たちはカルテに書かれている情報の処理と管理を行い、そこに含まれる情報を活用することにより患者様により良い医療が提供できるよう医療の安全、医療の質の向上に努めています。時には、診療内容のチェックをしたり、医師や看護師などの求めに応じて、看護記録やレントゲンなどの検査記録を検索し、情報提供を行っています。
 また、カルテに書かれている病名について分類コード付けを行い入退院日、患者様が全快したかなどの集計を行い、どのような患者様がどの位入院したかなどの統計をはじめとしていろいろな統計資料を作成しています。
なかなかお話しする機会はないかもしれませんが、よろしくお願いします。   

診療情報管理士 T.D

心療内科開設1周年を迎えて

心療内科誕生から感謝の1年
 
私が日本の心療内科発祥の地である福岡をあとにして郷里滋賀に帰り、早や8年の月日が流れようとしています。平成9年に九州大学を離れ福岡徳洲会病院に心療内科を立ち上げて5年、一大決心して滋賀に戻った当時を懐かしく思い出します。
 平成14年に滋賀県にある彦根市立病院に滋賀県初の心療内科を立ち上げて8年、振り返ってみると本当にアッという間の時間でした。そして脳神経リハビリ北大路病院院長との不思議な再会が縁となり脳神経リハビリ北大路病院に心療内科を立ち上げて1年、徐々に患者さんの数も増え、この地域での心療内科として認められつつあるのを実感し、感謝の気持ちでいっぱいです。

  「リハビリ専門病院の心療内科としての役割とは?」

 回復期リハビリ病棟は脳卒中などで機能喪失した患者さんの「再生」のために病棟です。突然の機能喪失のショックから徐々に立ち直り、懸命にリハビリに打ち込む患者さんへnの心身両面からの援助は、長年心療内科臨床に携わってきた私にとって、とてもやりがいのある仕事になっています。その中でも患者さんの中にある治療意欲を最大限に引き出すことが、その後の機能回復にいかに重要であるかを日々痛感しています。
「機能回復に向けてこころとからだ…両面からアプローチ」が当院のキャッチフレーズです。心療内科専門医として臨床心理士・医療ソーシャルワーカーとともに毎朝入院患者さん全員を回診して、患者さんのメンタルサポートを実践するとともに、脳卒中の原因となる糖尿病・高血圧・脂質異常症に対しては認定内科医・糖尿病専門医として適切な身体管理を行うことで再発防止に努めています。
同時に心療内科・カウンセリング外来を開設し、心身症から不安、うつ、パニック障害、適応障害といった患者さんの診療も積極的に行っています。
これからも北大路病院を「心身一如」の考え方のもと心身医学を実践する日本でも先駆的なリハビリ病院として高めていきたいと思いますので、皆様のあたたかいご支援をよろしくお願い申し上げます。

医療法人一仁会
脳神経リハビリ北大路病院
副院長 椋田 稔朗

悲嘆の心理

 愛する人を失っても、悲しむことができない。カウンセリングという仕事をしていると、しばしばこういう方に出会います。人は大きな悲しみに遭遇すると悲しいという感情を感じることができなくなります。悲しみという感情ではなく、恐怖を感じます。不思議に思われるかも知れませんが、失う恐怖を感じているのです。愛する対象をすでに失くしているにもかかわらず、失ったという実感がありません。
 愛する対象と書きましたが、対象は最愛の配偶者や父母や子ども、時には大切な居場所であったり、長年培ってきた技術であったり、自らが創業し作り上げてきた会社であったり、または自分自身の身体的機能であったりと、その人の人生の物語に深く根付いているもの、そういったものほど失ったと時に失ったという感覚がわきづらくなります。
 それは対象が自分と分かち難いほど一つになっていたということであり、私の人生の物語の中にあなたが(その対象が)存在しないことは考えられない、私というものは未だここに存在するのだけれども、私を残して、私の中の大切な一部はすでにここにはいない、それを受け止めることはとても難しいことなのです。その対象と私は心理的には一体なので、それを失うことは自分自身を失うことと同じであり、だからこそ底知れぬ恐怖を感じてしまいます。
ですから、悲しみを感じないというのは緊急避難的に自分を守る無意識的な方法の一つだといえます。ただ、これが行き過ぎると他の感情も生じなくなって、自分がここにいるという実感すらわかなくなってしまいます。また、馴染んでいたものが疎遠に感じられ、自分だけが取り残されたような孤独を感じます。
私たちは、大切なものをなくしたときに、悲しむことが当然できると考えていますが、それはそう容易いことではなさそうです。他にも、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったと悔やみ、自分が悪かったと責め、あのことがなければ、あいつのせいだと他人を恨むことで、恐怖とごっちゃになった悲しみをなんとかしようと苦闘します。しかし、苦闘すればするほど悲しむことから離れていきます。
 では、悲しむということにはどのような意味があるのでしょうか。大事なことは、失って悲しくなる歴史がその対象と私との間にあるということです。そういう歴史があるということはとても幸せなことだと思います。別れが悲しいのは愛したからで、何もなかったからではないのです。深い悲しみを何かで埋めることはできないけど、悲しむことでその愛を続けることはできる。だから、悲しむその姿に、その対象を愛しているときの雰囲気が感じられるなら、その人は、その悲しみにきちんと向き合えていて、これまでのその人と対象との歴史を、これからの人生の中にも生かし続けられるのではないでしょうか。

臨床心理士 H.Y

理事長推薦ジャズ名盤 第6回

『チック・コリア・エレクトリック・バンド』チック・コリア・エレクトリック・バンド

 誰しも、その後の人生に大きく影響した、二度と忘れることの出来ない感動的な経験をお持ちと思いますが、私にとっては、1986年「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」でのチック・コリア・エレクトリック・バンドのパフォーマンスは、私が今まで観てきたライブの中で間違いなくベストであり、二度と忘れることの出来ない衝撃的な体験となりました。
 「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」については、すでに第1回ジャズ名盤で説明しましたが、もう一度触れておきます。日本たばこ産業がメイン・スポンサーとなり、77年から92年にかけて行われた大規模な野外ジャズ・フェスティバルで、大阪では「万博公園お祭り広場」で毎年8月に開催されました。今となっては考えられないのですが、学生にも手が届くリーズナブルな料金で、マイルス・デイビスやチック・コリアやハービー・ハンコックといったスーパー・スターたちのライブを見ることが出来たのです。
 86年、チック・コリア・エレクトリック・バンドのデビュー作である『チック・コリア・エレクトリック・バンド』が発表されるやいなや、チック・コリアの大ファンであった私は、すぐにレコードを買い針を落としました。(まだ、CDプレーヤーを持っていなかったのです。)そのネーミングから、電子楽器を多用したロック色の強いフュージョンで、ロック名盤番外編でもご紹介したリターン・トゥー・フォーエヴァーの延長線上の音を予想したのですが、私にとっては期待以上の出来栄えでした。チックの演奏はもちろん超一流ですが、ドラムのデイヴ・ウェックル、ベースのジョン・パティトゥッチといった若きミュージシャンもスーパー・テクニックを披露し、そのスピード感はリターン・トゥー・フォーエヴァーを上回るものでした。そして、一番びっくりしたのは、シーケンサーを使用していたことです。ジャズは即興性が一番の特徴であり、曲のテンポ、リズム、長さなど、演奏するごとに変化するのが普通です。シーケンサーを使用し、あらかじめプログラムすることは、これらを固定してしまうことになります。「これはもはやジャズではない」と思ったジャズ・ファンも多かったことでしょう。しかし、私は、「演奏自体は躍動感に溢れていて、ジャズのスピリットは全く損なわれていない」と感じました。
 この作品が発表されて間もなく、「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」でチック・コリア・エレクトリック・バンドが初来日します。シーケンサーを使用した曲がライブでどのように演奏されるのか期待と不安の入り混じった気持ちで観に行きました。そして、目の前で、俄かには信じがたいパフォーマンスが繰り広げられました。レコードと同様にシーケンサーを使用しながら、それ以上のスピード感、躍動感で、圧倒的な演奏を披露したのです。最後の曲が終了した時、会場全体から大きな拍手とともにどよめきのような歓声が上がり、私の全身に鳥肌が立ちました。
 今でも、この作品を聞くたびに、そのときの情景がまざまざと脳裏に蘇り、深い感動に包まれます

コミュニケーション

 思えば、石野病院にリハビリ室が設けられた頃に就職し、北大路病院が開設されてから、もう早一年が過ぎたこの9年間。気がつけば知らず知らずのうちに中高年に・・・。変わらないのは大好物の焼酎を飲むこと。これが私の元気の源なのです。人生の折り返し地点の年齢に来て、元気で働けることが何よりもありがたいことだと思える年になりました。

 「リハビリステーション」には、沢山の入院・外来の患者様が来られます。身体の苦痛を抱えながらも一生懸命努力されている現場を見て、毎日のリハビリの奥深さを改めて痛感しています。
 朝一番「おはようございます!! 体調はいかがですか?」と最初の患者様への語りかけから始まり、コミュニケーションをはかりながらリハビリが進められています。
 「コミュニケーション」とは、言葉などを通して相手に伝える、いわゆる人と人との心の交流。日常、どの社会においてもコミュニケーションがはかられ、必要だと思います。また、コミュニケーションをはかることで社会は成り立つとも言えるのではないでしょうか?と言っても、そんなに容易ではなく、とてもエネルギーを使う事だから苦手だという人もいます。日常、話しかけていくことから慣らしていくことも一つの手かもしれませんね。
 リハビリもコミュニケーションをはかることで成り立っています。なぜなら、患者様の家族や職場あるいは、趣味など。患者様の性格やおかれている環境を知ることで、在宅復帰や社会への復帰についての可能性、目標を見極めて進めていくリハビリがされているからです。患者様の中でも様々な年齢の方がおられます。会話の中から教わることが多いです。人生の先輩です。
日々勉強、そして出会いに感謝です。少しでもリハビリは楽しいと感じていただけるように、愛と笑いを提供して参りたいと思います。

リハビリ助手T.E

2010年1月7日木曜日

平成22年 年頭のご挨拶

皆様あけましておめでとうございます。
 旧年中は大変お世話になり誠にありがとうございました。
 本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 脳神経リハビリ北大路病院は平成21年12月1日に無事開院一周年を迎えることができました。これもひとえに皆様方のご協力、ご指導の賜物と感謝いたしております。
 厚く御礼を申し上げます。


1. この1年間

平成20年12月1日に「石野病院」が新築移転し、「脳神経リハビリ北大路病院」となり、当初、「一般病棟56床1病棟(13対1)」・「脳血管リハビリⅡ」・「運動器リハビリⅡ」で開院しました。
 平成21年7月1日に、京都市左京区で5番目の回復期リハビリテーション病棟を取得し、2病棟体制となり、「回復期リハビリテーション病棟Ⅱ(36床)」と「一般病棟13対1(20床)」になりました。
 8月1日からは、「脳血管リハビリⅠ」を取得しました。
 9月1日からは、「運動器リハビリⅠ」を取得しました。
 10月1日からは、「一般病棟20床が10対1」となりました。

 以上のように、毎月のように人員確保とリハビリ実績を積み重ね、また皆様のご協力により、次々に上位のカテゴリーにステップアップしてきました。
 一方で、毎月のようにめまぐるしく病棟編成が変化したため、患者様やご家族、地域医療機関の皆様、職員の方々にもどのような患者様が入院できるのかわかりにくく、大変ご迷惑をお掛けしたことと存じます。
 この場を借りて、ご協力に感謝致しますとともに、お詫び申し上げます。


2. これからの1年

平成22年2月1日から「回復期リハビリテーション病棟Ⅰ(36床)」を取得する予定です。
「回復期リハビリテーション病棟Ⅰ」は「Ⅱ」に比べると人員基準や在宅復帰率の基準が厳しく、開院からわずか1年あまりでこれが取得できたことは、院長として大変な喜びであるとともに、皆様のお陰と深く感謝を致すところです。

ハード面、ソフト面共に激動の1年間でしたが、これからの1年間はこれらを使って、いかにリハビリテーション内容の充実をはかっていくかということで、当院にとって最大の正念場といえると思います。
新年と共に全職員気持ちも新たに、地域で認められる新生「脳神経リハビリ北大路病院」として再スタートをきりたいと思います。

リハビリテーションだけではなく、今年から行う外来アンケート等で患者様のご意見を伺い、頭痛外来・心療内科外来の充実を図ります。
また、院内コンサート・健康教室等をさらに充実させ、地域の皆様に開かれた病院にしたいと思います。
 ご指導・ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

 最後に皆様のご健勝、ご発展を祈念して、年頭のご挨拶とさせていただきます。



平成22年 元旦


医療法人一仁会
脳神経リハビリ北大路病院
院長 岡田 達也

理事長推薦ジャズ名盤 第5回

『アンオーソドックス・ビヘイビアー 』 ブランドX

 第4回までに述べたように、70年代から本格的にジャズからロックへのアプローチが始まり、フュージョンというジャンルが確立していったわけですが、当然同時進行的にロックからジャズへのアプローチも進んでいきました。今回はロック畑、しかもイギリスのミュージシャンによるフュージョン作品をご紹介します。76年に発表されたブランドXのデビューアルバム『アンオーソドックス・ビヘイビアー 』です。メンバーはジョン・グッドサル (ギター)、パーシー・ジョーンズ(ベース)、ロビン・ラムリー(キーボード)、そして、第1回ロック名盤で紹介した、ジェネシスのリーダーであり、ドラマー兼ヴォーカリストのフィル・コリンズがドラムを担当しています。フィル・コリンズがあまりにも有名なので、フィルのソロ・プロジェクトと誤解されがちですが、ブランドXのデビュー前に、最後に呼ばれ参加したのがフィルのようです。
 とにかく、各メンバーが超絶技巧をこれでもかと競い合う、聞いた後でお腹いっぱい、カロリーいっぱいの作品です。特に、ポップバンドとしてのジェネシスや、ソロ歌手としてのフィル・コリンズしか知らない人にとっては、唖然とするような音数のドラミングを聴くことができ、驚愕していただけること間違いありません。
 しかし、ブランドXのサウンドを一番特徴付けているのは、紛れもなく、 パーシー・ジョーンズのベースです。彼のフレットレス・ベースによるハーモニクス奏法(弦を指板まで押さえつけず軽く触れる程度で弾き、倍音だけ鳴らす奏法 )は得体のしれないフレーズを創り出し、二度と忘れることのできない強烈な印象を植え付けてくれます。同様にフレットレス・ベースでハーモニクス奏法を得意とした一番有名なベーシストはジャコ・パストリアスですが、パーシー・ジョーンズはより実験的でより過激な音を聴かせてくれます。
 ブランドXはバンドというよりも、流動メンバーによるプロジェクトという傾向が強く、この後も、さまざまなメンバーにより、実験的な作品が作られていくことになりますが、すでに、76年という時代に、デビューアルバムにおいて、発展途上のフュージョンではなく完成形を創り出していることに大きな驚きと感動を覚えます。


医療法人一仁会
脳神経リハビリ北大路病院
理事長 岡田 純

人に対する優しさとは

最近柄にもなく、私にとって人に対する優しさとは何か、などと考えることが多くなってきました。
 私は、人の気持ちを受け入れようとするような心が優しさだと思うのですが、これは簡単なことではありません。私たち一人一人にはそれぞれの立場があり、それぞれの利害があるからです。

 私が医療の世界に足を踏み入れた動機は単純なものです。困っている人を助けたい、弱い立場の方のお世話をしたいというようなものでした。ところが、実際に仕事を進めて行くには法令や基準などの『シバリ』があって思い通りには動けません。また自分自身が、患者様やサービス利用者の皆様の望みに全て応えられるほど強くもないし、有能でもないことをすぐに思い知らされます。

 弱い立場の方のお世話をしたいなどと思い上がったことを先ほど書きましたが、自分こそ弱くてちっぽけな存在です。それでも患者様や利用者の皆様の気持ちに寄り添う為の努力をする訳ですが、どうすれば良いか悩んでしまいます。そこで「優しさ」などという柄にも無いことを考える訳ですが、まずはしっかりとお話を聞くことが、優しさの第一歩だと、私は考えます。途中で横やりを入れないように心掛けて、最後までお話を聞くことです。
 実際には法令やスタッフのマンパワーの関係で、ご期待に添えないこともあるのですが、いま目の前にいらっしゃる方が、どのようなことを望み、どのような立場にいらっしゃるのか、理解しようとする気持ちは持ち続けたいと思います。そういう気持ちが無くなれば、医療も介護も成り立たなくなると思います。


医療法人一仁会
理事 谷畑 寿一