2008年10月29日水曜日

「脳神経リハビリ」について語る


◎それでは新病院の名前を発表してください。
 
院長:『医療法人一仁会 脳神経リハビリ北大路病院』としました。「脳神経」に続く外科という言葉を敢えて入れなかったのは、脳神経外科だけではなく心療内科も含み、「身体と心の両面からケアするリハビリを目指していく」ということです。

理事長:地域の皆さまに長年親しんで頂いた『石野病院』という名前を変更するということに異論もありましたが、今後さらに地域に密着した、地域に貢献できる病院を目指していく上で、北大路という地名を取り入れたいと考えました。
 また近年、病院の公共性・公益性というのが一層求められてきています。そういった点でも、『石野』という個人名をあえて外して地域の名前を入れていきたいと思いました。
 
◎現在の医療における脳卒中患者のリハビリテーションについて、どのような見解お持ちですか? 

院長:回復期リハビリ病棟というのは、非常に融通の効かないシステムだと思います。発症から2ヶ月以内に入院しなくてはいけなく、入ったら3ヶ月以内に家に帰らなくてはいけないなんて、全く融通がきかないですよね。  
 患者さんはそれぞれ状態も家庭の事情もみんな違います。画一的に「この日までに入院、この日までに退院、他院への転院は許しません、必ず在宅で診なさい」という制度ですから、現状はあまり患者さんにとっては望ましくないと思います。しかしながら、病院である以上は現在の医療制度に則ってやらないといけませんので、その範囲内で最も良いものを目指します。ある程度急性期に近い方でも入院してリハビリを始めて頂ける体制、そしてリハビリだけでなく、心療内科専門医もいるということで、心の病のケアもしていきます。              
副院長:心療内科の話が出ましたが、私はこれまで大学病院や総合病院の心療内科で幅広く臨床経験を積む一方で、地域医療の中での心療内科のあり方を模索してきました。こうしたノウハウを今回は「リハビリ」という分野に注いでみたいと思ったんです。そのきっかけの1つが『闘うリハビリ(NHKTV番組名)』(冒頭と最後に長嶋監督のリハビリを紹介)というTV番組との出会いでした。患者さんにとって、いかに早期から積極的にリハビリに向かう姿勢を維持できるかということが、その後の機能回復に極めて重要だと感じました。そのためにはまず心身が健康でなければなりません。まさしくこの時、心療内科での経験をリハビリに生かせると確信したのです。是非、こころとからだの両面からリハビリを支える、そんなユニークな病院創りに参加してみたいと思いました。

理事長:今回、急性期を中心としていた病院から回復期リハビリを中心とした病院にシフトしていくということを、やはり経営陣の中でも色々な議論があった上であえて選択したわけですけども、それは現在の医療の背景の中、石野病院のような56床規模の病院が担うべき役割というのは非常に限定されつつあると考えたからです。大きな救命救急センターのような病院で救急医療を行っていく、その一方で身近なところでの開業医の先生や診療所は増えているわけですが、急性期医療から在宅の間を繋いでいく役目を担うのは、この規模の、小回りがきく病院だと思うんですね。
 そういった急性期から在宅への橋渡しというか、そういう所をしっかりやっていきたいと思っています。

◎最後に回復期リハビリ病棟開設へ向けての心意気をお聞かせ下さい。
院長:急性期をやってきたノウハウを活かし、救急をやっている総合病院のリハビリでもない、リハビリしかやっていない病院でもない、急性期に近いところから患者様を診れるリハビリ病院。更には、おそらく日本で唯一の心療内科専門医がいる回復期リハビリ病棟ということで、心と身体という両面で、他には無いリハビリ病院を目指したいと考えています。

副院長:心療内科というのは一般的にはメンタルクリニックなどと混同されていることが多いようです。しかし本来対象となるのは身体疾患の患者さんで、その患者さんに対して身体的な面からのアプローチだけではなく、心理的な面からもアプローチするんですね。私が専門としている糖尿病のような生活習慣病はまさにその対象疾患になるわけです。同様に脳神経リハビリでも症状の原因となる身体的なケアはもちろんのこと、心のケアにも十分配慮しながら患者さんのモチベーションを高めていくことが大切です。心療内科医として闘う患者さんを包括的にサポートするシステムの一役を担えるようにがんばりたいと思います。
  
理事長:石野琢次郎が最初に北白川に診療所をつくり、そして40数年前にこの一乗寺に石野病院をつくって、地域に根ざした医療を目指し、地域と共に歩んできたわけですけど、地域もどんどん変わっていきますし、医療制度もどんどん変わってきて、医療は難しい時期に入ってきています。けれど56床という大きさで脳神経のリハビリを中心とした回復期リハビリ病院を、今の場所から少し移りますが、一乗寺でやっていくということについて、私は、地域のニーズと提供する医療が非常にマッチした病院に出来ると自信がありますし、自負もしております。
 ぜひ引き続きご支援を賜りたいと思います。


医療法人一仁会 脳神経リハビリ北大路病院(旧 石野病院)

理事長 岡田 純(消化器内視鏡専門医)
院長 岡田達也(脳神経外科・リハビリテーション科)
副院長 椋田稔朗(心療内科専門医・糖尿病甲状腺専門医)

MRIの話

 MRIとは、磁気共鳴画像の略です。よく、MRIとは何?と思われることがあると思いますが、簡単に言えば、磁石でできています。大きな磁石で作られていますので、1メートル程近づけば、クリップ等簡単に勢いよく飛んでいきます。ですので、金属類や、ペースメーカーを装置されている人は、十分に気を付けなければなりません。
 さて、どうやって写真が撮影されているかと言いますと、まず、人間は六十~七十パーセントは水分でできています。磁石から信号を送ると、共鳴して水から微力な信号が帰ってくるのです。この信号を集めて写真にするのですが、微力な信号の為、何回も繰り返して行うことにより時間がかかってしまいます。この共鳴現象は、二つの音叉の一方を叩いて振動させると、他方の音叉も自然に鳴り出すことと似ています。
 検査中での工事現場のような音ですが、あれは磁石が振動しているときの音です。原因は、磁石の力を微妙に変化させて写真を撮影するために、電源のON/OFFを繰り返して、強い力が働いているためです。またこれは装置によって、撮影時間が短くなる利点があれば、音が大きくなるという欠点もあります。
 このように、MRIは全世界で普及していますが、まだまだ進歩するところがあり、将来に向けて、もっと時間を短く、音を小さくなるように研究は進められています

診療放射線技師 S・M

理事長推薦ロック名盤 番外編

番外編 『浪漫の騎士』/リターン・トゥ・フォーエヴァー

 今回のロック名盤は、番外編としてチック・コリア率いるリターン・トゥ・フォーエヴァーの『浪漫の騎士』 をご紹介します。ご存知のように、チック・コリアは現役のジャズ・ピアニストとしてもっとも輝かしい業績を残している巨星です。「何でロック名盤の紹介でチック・コリアが出てくるねん?」と突込みが入りそうですが、このアルバムをほんの数秒聴いていただければ、すぐにご納得いただけると思います。どこからどう聴いてもロックです。
 このアルバムが発表されたは76年ですが、70年代前半に隆盛を極めたプログレッシブ・ロックの要素を取り入れながらも、ジャズのスピリッツを随所に残し、その後のジャズおよびロック・ミュージックに大きな影響を与えました。
 メンバーはピアノ、キーボード、シンセサイザーのチック・コリア、エレクトリック・ベース、アコースティック・ベースのスタンリー・クラーク、ドラムのレニー・ホワイト、エレクトリック・ギター、アコースティック・ギターのアル・ディメオラという涎が出てきそうなオールスター・キャストです。
 メンバーそれぞれが超絶技巧を屈指して、激しく音と音をぶつけ合いながらも、混沌に陥るわけでなく、見事に調和しているところが奇跡的とも言える作品です。演奏家・作曲家としてはもちろんですが、プロデューサーとしても超一流のチック・コリアの手腕によるものではないでしょうか?
 70年代のジャズは、60年代後半から電気楽器を取り入れロックへのアプローチを試みたマイルス・デイビスの流れを汲んだフュージョン(当時はまだクロスオーバーとかジャズ・ロックなどと呼ばれていました)が全盛を迎えます。そのひとつの完成形と言えるのが『浪漫の騎士』です。
 それまでロック一辺倒であった私はこの作品を聴き、ジャズにのめりこむきっかけとなりました「ロックは好きだけど、ジャズはどうも・・・」という方に是非お勧めします。
 そんなわけで、かなり強引な展開ですが、次回より70年代80年代のフュージョンを中心に、「理事長推薦ジャズ名盤」をお贈りいたします。お楽しみに。


医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純

2008年6月30日月曜日

糖尿病外来はじまりました!


 当院はこれまで脳神経外科・リハビリ病院として脳出血や脳梗塞などの脳卒中に対して一貫した治療を行ってきました。この脳卒中の原因になる病気としては高血圧、糖尿病、高脂血症や最近話題となっているメタボリック症候群などが挙げられます。これらの病気はすべて血管の障害に深く関与する全身病であり、これらの病気をきちんと治療していくことが、脳卒中の発症や再発の予防には不可欠なのです。

 その中でも糖尿病の患者さんは増加の一途をとげ、日本の総人口の5人に1人が糖尿病または糖尿病予備軍という時代がそこまでやって来ています。こうした中で当院でも本年4月より糖尿病の専門外来が始まりました。

 糖尿病は加齢のほか日常の生活習慣が誘因となって発病することが多いため「生活習慣病」といわれています。日本で糖尿病の患者さんが増え続けている理由の1つは、現代社会そのものが糖尿病を増やす生活習慣を生みやすい構造にあるからです。食べ過ぎ、運動不足、ストレス、アルコールの飲み過ぎなどは血糖の上昇を招き、外食産業やコンビニの隆盛、自動車社会の繁栄、肥満の増加、ストレス社会などはすべて糖尿病増加の原因となっています。

 こうした環境の中では膵臓で作り出されるインスリンというホルモンの作用が不足し、そのために個々の細胞が血液の中からブドウ糖を取り込んでエネルギーとして利用することができなくなることで血糖値が上がってしまうのです。このようにして高血糖が持続することが、ひそかに少しずつ確実に血管をむしばんでいきます。最初は細小血管がやられてそのために網膜症、腎症、神経障害といった合併症をひきこおこします。さらには冒頭で述べた脳卒中や心筋梗塞といった大血管病へと進行していくのです。

 それに対して糖尿病の治療も目覚ましい発展を遂げてきました。基本となる治療は食事療法・運動療法ですが、それでもコントロール不良の場合にはインスリンを補充するなどの薬物治療を行います。糖尿病は軽症の時期からの治療が大切です。すでに糖尿病と診断されている方はもちろん、血糖がやや高いといわれている糖尿病予備軍の方も、是非今すぐ適切な治療を始めていきませんか?


医療法人一仁会 石野病院
副院長 椋田稔朗
(日本糖尿病学会専門医)

理事長推薦ロック名盤 第7回

第7回 『ダブル・ファンタジー』 ジョン・レノン&ヨーコ・オノ

 前回、私は「62年68年74年と6年ごとにロックが大きな変化を経てきたので、80年という年がロックにとって大きな節目の年になるだろうと予想していたところ、予想通り衝撃的な事件とともに大変革を迎えることになった。」と書きました。

 「衝撃的な事件」とは何か、タイトルをご覧になってもうお解りですよね。そうです。80年12月に起こった ジョン・レノン殺害事件です。

 1980年12月8日(現地時間)、ニューヨークの自宅アパート前で、ジョンは妻オノ・ヨーコの目の前で、射殺されました。そのとき犯人は、ジョン・レノンのサイン入り『ダブル・ファンタジー』 を手にしていたといわれています。

 当時(もちろん今でも)、私はビートルズの大ファンであり、メンバーの中でとくにジョン・レノンが一番好きだったのですが、テレビ・ニュースでジョンの死を知ったとき、自分でも不思議なくらい冷静でした。というか、「ああやっぱり・・・」という感想を抱いたように記憶しています。ロックのカリスマであったジョン・レノンは、当時に於いてすでに私の中で生死を超越した存在であり、いずれ伝説に残るような最期を迎えるのではないかと漠然と考えていたのです。

 ジョン・レノンはご存知のようにアーティストであると同時に反戦平和活動家でもあり、多くの政治的メッセージ・ソングを残しました。黒人のブルースをルーツに持つロックは、もともとその生い立ちから反体制的な性格を帯びていましたが、70年代の反戦平和運動と結びつき、その性格を強くしていきます。「イマジン」を例に出すまでもなくその中心人物がジョン・レノンです。ジョン・レノンの死は、このような反体制的ムーブメントという意味でのロックの終焉を象徴する事件であったと考えます。

 80年代に入り、楽器や録音機器の発達、演奏技術の向上等による変化はもちろんですが、ロックは音楽そのものの質的な変容を来たすようになります。MTVなどメディアの発達もあり、若者のためだけの反体制的な音楽ではなく、老若男女が楽しめるポピュラー・ミュージックの側面が強くなっていくのです。70年代以前のロック・ファンの多くはそういった性格の強いロックを「産業ロック」と言って揶揄しました。私も当然70年代以前のロック・ファンですので、80年代当時なかなか新しいロックになじめず、好きになれませんでしたが、かといって「産業ロック」と言って批判する人たちには疑問を感じざるを得ませんでした。逆に80年以降のロック・ファンは、70年代以前のロックに対し、音楽性が閉鎖的であることや演奏や録音の技術が未熟であることを理由に挙げて批判的でした。そういった主張にも何度か不愉快な想いをさせられたことを記憶しております。

 なぜこのようなことが起きたのか考えるに、お互いにある種の近親憎悪のような感情を抱いていたのではないでしょうか?70年代以前のロック・ファンと80年代以降のロック・ファンそれぞれが、ロックを画一的なものとして捉え、「ロックとはかくあるべき」というお互いの主張をぶつけ合っていたように思います。

 しかし、70年代以前のロックと80年代以降のロックを、質的に全く異なる音楽であると理解すれば、このような対立軸は不毛であることに気がつきます。「ロックとジャズはどちらが高度な音楽か?ビートルズとマイルス・デイビスはどちらが偉大か?」などという議論は全くナンセンスであることは容易に理解していただけるかと思います。

 では、『ダブル・ファンタジー』の内容に触れていきます。80年の11月17日すなわち死亡する3週間前にリリースされたこのアルバムは、ジョン・レノンにとって生前に発表された最後のアルバムになってしまったわけですが、実は、息子ショーンの育児のための5年間の活動休止後の復帰第一作でもありました。そのため、作品のテーマは家族愛で統一されています。かつての直接的な政治的メッセージを含んだ楽曲はひとつもありません。「ビューティフル・ボーイ」や「ウーマン」をはじめとする美しい詞やメロディーを聴くたびに、まもなく訪れることになるジョンの死を知るべくもないジョン・レノン一家の家族愛を感じ胸が熱くなります。また、サウンド的にも親しみやすい作品に仕上がっています。そういった意味では70年代ロックの総括的な作品と言うより、80年代の幕開けを告げる作品と言ったほうがいいのかもしれません。

 ジョン・レノンの死が1980年で、この年を境に大きくロックが変容していくという私の話に「それは単なる偶然だ」と反論される方も多いと思います。確かに、例えジョンが亡くならなかったとしても、テクノロジーや演奏技術の向上やロックの市場拡大は訪れ、産業化は進んでいったと思います。事実『ダブル・ファンタジー』を聞いても80年代の息吹は感じられ、ジョン・レノンもその流れに乗り遅れることはなかったと思います。しかし、今の時代においてもロック界最大のカリスマであるジョン・レノンの死が、スピリチュアルな意味でその後のロックの流れに大きな影響を与えたことは間違いないと確信します。

 ロックというのは破壊と創造を繰り返し、変容し続けていく音楽です。時代や地域によって著しい質的相違が生じます。固定観念に捉われるのではなく、その相違を認識し許容することがロックを楽しむコツではないでしょうか?

 シリーズとしての「理事長推薦ロック名盤」はとりあえず今回が最終回です。私の連載を読んでいただき、70年代ロックを聞いたことがないという方に少しでも興味を持っていただいたのであればこの上ない幸せです。出来ましたらレンタルでもいいので、私がご紹介したCDを一度聞いてみてください。例え好みに合わないとしても、何かを感じていただけると信じています。

 それではまた。

 次回は「理事長推薦ロック名盤番外編」をお贈りいたします。


医療法人一仁会 石野病院
理事長  岡田 純

2008年4月7日月曜日

変形性膝関節症とは


 変形性膝関節症(へんけいせいしつかんせつしょう)は、膝関節の軟骨が劣化や摩耗により消失し、痛みがでたり、無症状になったりを繰り返しながら、5年から10年以上の経過で徐々に進行する病気で、男性より女性に多くみられます。
 関節軟骨は外的衝撃を和らげ、関節の動きを滑らかにする働きをしています。また、ヒアルロン酸を含む関節液が潤滑油と軟骨の栄養補給の役割を果たしています。
  変形性膝関節症が高度になり、O脚になると病気の進み方も急に早くなります。65歳以上の高齢者ではたとえ症状がなくてもX線では70%に変形性変化がみられ、患者数は国内で1000万人以上、要治療者は700万人と言われています。

 (症状)
 
 主な症状は膝の痛みと水がたまることです。症状が進むと、膝の動きは制限され、膝が完全に伸びなくなります。
 初期には、立ち上がり、歩きはじめにひざが痛み出し、中期には歩くと膝が痛み、正座、階段の昇降が困難になってきます。末期になると、変形が目立ち、膝がピンと伸びず、歩行も困難になります。

(原因・病態)

 原因は関節軟骨の劣化、外傷、肥満、素因(遺伝子)などが考えられます。明らかな原因のない一次性関節症と怪我・炎症等の後に生じる二次性関節症に分けられます。
 90%以上は一次性関節症です。加齢によるものでは、関節軟骨が年齢とともに弾力性を失い、使いすぎにより擦り減り、関節が変形します。

(診断)

 問診や診察、特に触診で膝内側の圧痛、動きの制限、腫れ、変形などを調べ、レントゲンを撮影して診断します。必要によりMRIなどの検査も行います。

(予防・治療)

 日常生活の注意点(予防)としては以下の6点が挙げられます。

 ①太ももの前の筋肉(大腿四頭筋)を強化する。
 ②肥満であれば減量する。
 ③正座をさける。
 ④膝を冷やさない。クーラーなどに注意する。
 ⑤洋式トイレを使用する。
 ⑥急に痛むときは冷やしますが、慢性化したら温めて血行を良くする。

 治療としては、大きく分けて以下の3点があげられます。

 ①薬物療法:外用薬(湿布薬や軟膏)、内服薬(消炎鎮痛剤)、関節内注射(ヒアルロン酸など)
 ②理学療法:大腿四頭筋強化訓練、関節可動域改善訓練、装具療法、温熱療法など
 ③手術 :関節鏡手術、高位脛骨骨切り術、人工膝関節置換術など
 

 「関節内注射に使うヒアルロン酸とは?」

・ヒアルロン酸は、もともと体内(目や皮膚、関節など)に含まれている成分です。ヒアルロン酸は、そのすぐれた保水力で注目を集めており、身近なものでは、化粧品や健康食品などに使用されています。また医薬品の原料としても使用されています。

・赤ちゃんの肌がみずみずしく、ハリがあるのはヒアルロン酸を多く含んでいるからです。保水力に優れるヒアルロン酸は、皮膚に潤いを保つ化粧水やスキンクリームなどに使用されています。

・膝や肩の痛みに使う関節内注射薬や目薬などに、純度の高いヒアルロン酸が使用されています。医薬品では保水力のみならず、ヒアルロン酸の持つさまざまな特性が活かされています。

 高分子ヒアルロン酸注射の効果としては、以下の4点があげられます

 ①関節の痛みを抑える
 ②炎症を抑える
 ③関節の動きを良くする
 ④軟骨の摩耗を抑える
 
 変形性膝関節症(へんけいせいしつかんせつしょう)は、ありふれた病気であり、歳だからとあきらめたり、我慢している場合が多いのが特徴です。
 早期に発見し、適切な治療を開始することで、病気の進行を遅らせ、ADL(日常生活動作)を維持することが可能です。膝に痛みを感じたときは早めに病院を受診しましょう。


整形外科医 赤木祥範

我が家の治療犬?

 セラピードッグをご存知ですか?高齢者や障害者の施設また学校などで、医師や介護士、犬を訓練する人と一緒に、「人を助けるために働く、特別な訓練を受けた犬のこと」です。アメリカでは約60年の歴史があり、動物介在療法として認められています。

 そして我が家にも1頭の治療犬?(本当はただの犬です)がいます。名前はカール、少し大きめの犬です。今から12年ほど前に家族で犬を飼おうと決めた時に父が、「前足の太い犬はかしこい犬のことが多いと聞いたことがある。」の一言で前足の太い犬を探し飼うことになりました。

 それから12年、賢かったか、どうかはわかりませんが、エサを食べている時にノラ猫が横に来ると食べるのを止めて猫にエサをやったり、いっしょに犬小屋で寝たりしています。また散歩の時も膝の悪い父と一緒にいく時は、引っ張ったりせず後ろを気にしながらゆっくりと歩いたりするやさしい犬です。時々、散歩の時に溝に落ちたり、つまずいて顔からこけたり、よそ見しながら電柱にぶつかったりと少し(そうとう?) マヌケな犬ですが、いっしょに居るとすごく心が穏やかになることが出来ます。特別何かをしてくれるわけでは、無いのですが、いつも真っすぐに家族のことを見ている姿や行動は、まさに我が家のセラピードッグです。


臨床検査技師  S・N

理事長推薦ロック名盤 第6回

第6回 『ザ・ビートルズ』 ザ・ビートルズ

 今回と次回2回にわたり、作品自体の質の高さはもちろんですが、時代の節目となった作品を紹介することで、70年代ロックを私なりに総括してみたいと思います。

 今回はビートルズが68年に発表した『ザ・ビートルズ』 です。真っ白なジャケットで、一般的には「ホワイトアルバム」 といったほうが通りがいいようです。

 「70年代ロックではないだろう」とおっしゃる方も多いと思いますが、68年という年はクリーム、ヤードバーズといった60年代を代表するバンドが解散する一方で、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、イエスといった70年代を代表するバンドが次々とデビューし、実質的に70年代ロックの幕開けとなった年なのです。

 そんな節目の年に発表されたのが「ホワイト・アルバム」です。ストレートなロックン・ロールはもちろんのこと、ブルース、バラード、ハード・ロックさらには効果音と電子音だけで構成された前衛音楽までありとあらゆるジャンルに挑戦し、ビートルズのみならず、それまでの60年代ロックの集大成という内容になっているとともに、来るべき70年代ロックの方向性を示したともいえる作品です。

 67年に発表された『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と、69年に発表された『アビー・ロード』の2つの超傑作アルバムにはさまれて、地味な印象の「ホワイト・アルバム」ですが、ビートルズの作品の中では私がもっとも好きなアルバムです。

 その後の70年代ロックの隆盛は、第1回から第5回のロック名盤でもご紹介したとおりですが、第1期キング・クリムゾンが解散した74年頃から衰退し始め、私が高校に入学したは78年頃には、私のロック熱とは裏腹に、ロック界全体に閉塞感が漂うようになりました。

 当時私は80年がロックにとって大きな節目の年になると予想していました。62年にはビートルズとローリング・ストーンズ(レコードデビューは翌年)がデビューしており、68年と74年に上に書いたような変革があり、6年ごとに大きな変革が起こっていたからです。

 別に私に予知能力があるというつもりはさらさらありませんが、予想通り80年にロックは衝撃的な事件とともに大変革を迎えることになります。


医療法人一仁会 石野病院
理事長  岡田 純