2006年6月30日金曜日

来し方を振り返り そして これから

 最近、歩んで来た道を振り返る事が多くなりました。反省と後悔の方が多かった人生を振り返り、私の様な未熟な人間でも残された人生、御縁のある方達の御役に立てればと思っています。
 思えば、中学時代に歴史の教科書に載っていた広隆寺の弥勒菩薩の姿に引き込まれるような感覚を覚えて、程なく作文の宿題があり『人は生まれながらにして善か悪か(性善説・性悪説)』を取り上げました。が、十代半ばの年齢では答えが見つかるはずもなく、一生の課題としました。
 京都の看護学校に入学、卒業し京都に残り結婚、出産、育児後、再度医療の世界に身を置くことになった中で、現時点では『人は生まれながらにして善だけでも悪だけでもなく、両方合わせ持ち生まれてくるのでは』という答えに至っています。そして生き方により善悪の割合が多くもなり少なくもなるのではないか、と。
 二十年近く前になるでしょうか。何の前ぶれもなく突然知人の方が「この絵はこの家に置くのが一番ふさわしい。差し上げます。」と言って持って来て下さったのが、あの歴史の教科書と同じ広隆寺の弥勒菩薩の画(四十号位)、それも写真かと思える様な写実的なものでした。玄関を入ったところに飾らせて頂きましたが、その画と向かい合う毎に“より善としての生き方をするように”と語りかけられている気がします。
 瀬戸内寂聴さんが『人は生涯に自分の才能の一部しか発揮せず死んでいく。生きるとは隠れている才能を生涯かけて少しでも発揮できる努力をすること。』と書いておられ、又ある投書に『老いても自分の知恵や体験が人の役に立ったり、存在感が人々に安心や喜びを与えているうちは、まだ生きがいを感じることが出来る。』とありました。
 少し老いを感じる年齢で石野病院に御縁があった事は、スタッフの方達の『隠れている才能を発揮しようとする努力』に少しでも御役に立つことが、私の人生の後半の生きがいとしての必要事なのかと思っています。

看護部長 天達節子
2006年 夏号