番外編 『浪漫の騎士』/リターン・トゥ・フォーエヴァー
今回のロック名盤は、番外編としてチック・コリア率いるリターン・トゥ・フォーエヴァーの『浪漫の騎士』 をご紹介します。ご存知のように、チック・コリアは現役のジャズ・ピアニストとしてもっとも輝かしい業績を残している巨星です。「何でロック名盤の紹介でチック・コリアが出てくるねん?」と突込みが入りそうですが、このアルバムをほんの数秒聴いていただければ、すぐにご納得いただけると思います。どこからどう聴いてもロックです。
このアルバムが発表されたは76年ですが、70年代前半に隆盛を極めたプログレッシブ・ロックの要素を取り入れながらも、ジャズのスピリッツを随所に残し、その後のジャズおよびロック・ミュージックに大きな影響を与えました。
メンバーはピアノ、キーボード、シンセサイザーのチック・コリア、エレクトリック・ベース、アコースティック・ベースのスタンリー・クラーク、ドラムのレニー・ホワイト、エレクトリック・ギター、アコースティック・ギターのアル・ディメオラという涎が出てきそうなオールスター・キャストです。
メンバーそれぞれが超絶技巧を屈指して、激しく音と音をぶつけ合いながらも、混沌に陥るわけでなく、見事に調和しているところが奇跡的とも言える作品です。演奏家・作曲家としてはもちろんですが、プロデューサーとしても超一流のチック・コリアの手腕によるものではないでしょうか?
70年代のジャズは、60年代後半から電気楽器を取り入れロックへのアプローチを試みたマイルス・デイビスの流れを汲んだフュージョン(当時はまだクロスオーバーとかジャズ・ロックなどと呼ばれていました)が全盛を迎えます。そのひとつの完成形と言えるのが『浪漫の騎士』です。
それまでロック一辺倒であった私はこの作品を聴き、ジャズにのめりこむきっかけとなりました「ロックは好きだけど、ジャズはどうも・・・」という方に是非お勧めします。
そんなわけで、かなり強引な展開ですが、次回より70年代80年代のフュージョンを中心に、「理事長推薦ジャズ名盤」をお贈りいたします。お楽しみに。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
2008年10月29日水曜日
2008年6月30日月曜日
理事長推薦ロック名盤 第7回
第7回 『ダブル・ファンタジー』 ジョン・レノン&ヨーコ・オノ
前回、私は「62年68年74年と6年ごとにロックが大きな変化を経てきたので、80年という年がロックにとって大きな節目の年になるだろうと予想していたところ、予想通り衝撃的な事件とともに大変革を迎えることになった。」と書きました。
「衝撃的な事件」とは何か、タイトルをご覧になってもうお解りですよね。そうです。80年12月に起こった ジョン・レノン殺害事件です。
1980年12月8日(現地時間)、ニューヨークの自宅アパート前で、ジョンは妻オノ・ヨーコの目の前で、射殺されました。そのとき犯人は、ジョン・レノンのサイン入り『ダブル・ファンタジー』 を手にしていたといわれています。
当時(もちろん今でも)、私はビートルズの大ファンであり、メンバーの中でとくにジョン・レノンが一番好きだったのですが、テレビ・ニュースでジョンの死を知ったとき、自分でも不思議なくらい冷静でした。というか、「ああやっぱり・・・」という感想を抱いたように記憶しています。ロックのカリスマであったジョン・レノンは、当時に於いてすでに私の中で生死を超越した存在であり、いずれ伝説に残るような最期を迎えるのではないかと漠然と考えていたのです。
ジョン・レノンはご存知のようにアーティストであると同時に反戦平和活動家でもあり、多くの政治的メッセージ・ソングを残しました。黒人のブルースをルーツに持つロックは、もともとその生い立ちから反体制的な性格を帯びていましたが、70年代の反戦平和運動と結びつき、その性格を強くしていきます。「イマジン」を例に出すまでもなくその中心人物がジョン・レノンです。ジョン・レノンの死は、このような反体制的ムーブメントという意味でのロックの終焉を象徴する事件であったと考えます。
80年代に入り、楽器や録音機器の発達、演奏技術の向上等による変化はもちろんですが、ロックは音楽そのものの質的な変容を来たすようになります。MTVなどメディアの発達もあり、若者のためだけの反体制的な音楽ではなく、老若男女が楽しめるポピュラー・ミュージックの側面が強くなっていくのです。70年代以前のロック・ファンの多くはそういった性格の強いロックを「産業ロック」と言って揶揄しました。私も当然70年代以前のロック・ファンですので、80年代当時なかなか新しいロックになじめず、好きになれませんでしたが、かといって「産業ロック」と言って批判する人たちには疑問を感じざるを得ませんでした。逆に80年以降のロック・ファンは、70年代以前のロックに対し、音楽性が閉鎖的であることや演奏や録音の技術が未熟であることを理由に挙げて批判的でした。そういった主張にも何度か不愉快な想いをさせられたことを記憶しております。
なぜこのようなことが起きたのか考えるに、お互いにある種の近親憎悪のような感情を抱いていたのではないでしょうか?70年代以前のロック・ファンと80年代以降のロック・ファンそれぞれが、ロックを画一的なものとして捉え、「ロックとはかくあるべき」というお互いの主張をぶつけ合っていたように思います。
しかし、70年代以前のロックと80年代以降のロックを、質的に全く異なる音楽であると理解すれば、このような対立軸は不毛であることに気がつきます。「ロックとジャズはどちらが高度な音楽か?ビートルズとマイルス・デイビスはどちらが偉大か?」などという議論は全くナンセンスであることは容易に理解していただけるかと思います。
では、『ダブル・ファンタジー』の内容に触れていきます。80年の11月17日すなわち死亡する3週間前にリリースされたこのアルバムは、ジョン・レノンにとって生前に発表された最後のアルバムになってしまったわけですが、実は、息子ショーンの育児のための5年間の活動休止後の復帰第一作でもありました。そのため、作品のテーマは家族愛で統一されています。かつての直接的な政治的メッセージを含んだ楽曲はひとつもありません。「ビューティフル・ボーイ」や「ウーマン」をはじめとする美しい詞やメロディーを聴くたびに、まもなく訪れることになるジョンの死を知るべくもないジョン・レノン一家の家族愛を感じ胸が熱くなります。また、サウンド的にも親しみやすい作品に仕上がっています。そういった意味では70年代ロックの総括的な作品と言うより、80年代の幕開けを告げる作品と言ったほうがいいのかもしれません。
ジョン・レノンの死が1980年で、この年を境に大きくロックが変容していくという私の話に「それは単なる偶然だ」と反論される方も多いと思います。確かに、例えジョンが亡くならなかったとしても、テクノロジーや演奏技術の向上やロックの市場拡大は訪れ、産業化は進んでいったと思います。事実『ダブル・ファンタジー』を聞いても80年代の息吹は感じられ、ジョン・レノンもその流れに乗り遅れることはなかったと思います。しかし、今の時代においてもロック界最大のカリスマであるジョン・レノンの死が、スピリチュアルな意味でその後のロックの流れに大きな影響を与えたことは間違いないと確信します。
ロックというのは破壊と創造を繰り返し、変容し続けていく音楽です。時代や地域によって著しい質的相違が生じます。固定観念に捉われるのではなく、その相違を認識し許容することがロックを楽しむコツではないでしょうか?
シリーズとしての「理事長推薦ロック名盤」はとりあえず今回が最終回です。私の連載を読んでいただき、70年代ロックを聞いたことがないという方に少しでも興味を持っていただいたのであればこの上ない幸せです。出来ましたらレンタルでもいいので、私がご紹介したCDを一度聞いてみてください。例え好みに合わないとしても、何かを感じていただけると信じています。
それではまた。
次回は「理事長推薦ロック名盤番外編」をお贈りいたします。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
前回、私は「62年68年74年と6年ごとにロックが大きな変化を経てきたので、80年という年がロックにとって大きな節目の年になるだろうと予想していたところ、予想通り衝撃的な事件とともに大変革を迎えることになった。」と書きました。
「衝撃的な事件」とは何か、タイトルをご覧になってもうお解りですよね。そうです。80年12月に起こった ジョン・レノン殺害事件です。
1980年12月8日(現地時間)、ニューヨークの自宅アパート前で、ジョンは妻オノ・ヨーコの目の前で、射殺されました。そのとき犯人は、ジョン・レノンのサイン入り『ダブル・ファンタジー』 を手にしていたといわれています。
当時(もちろん今でも)、私はビートルズの大ファンであり、メンバーの中でとくにジョン・レノンが一番好きだったのですが、テレビ・ニュースでジョンの死を知ったとき、自分でも不思議なくらい冷静でした。というか、「ああやっぱり・・・」という感想を抱いたように記憶しています。ロックのカリスマであったジョン・レノンは、当時に於いてすでに私の中で生死を超越した存在であり、いずれ伝説に残るような最期を迎えるのではないかと漠然と考えていたのです。
ジョン・レノンはご存知のようにアーティストであると同時に反戦平和活動家でもあり、多くの政治的メッセージ・ソングを残しました。黒人のブルースをルーツに持つロックは、もともとその生い立ちから反体制的な性格を帯びていましたが、70年代の反戦平和運動と結びつき、その性格を強くしていきます。「イマジン」を例に出すまでもなくその中心人物がジョン・レノンです。ジョン・レノンの死は、このような反体制的ムーブメントという意味でのロックの終焉を象徴する事件であったと考えます。
80年代に入り、楽器や録音機器の発達、演奏技術の向上等による変化はもちろんですが、ロックは音楽そのものの質的な変容を来たすようになります。MTVなどメディアの発達もあり、若者のためだけの反体制的な音楽ではなく、老若男女が楽しめるポピュラー・ミュージックの側面が強くなっていくのです。70年代以前のロック・ファンの多くはそういった性格の強いロックを「産業ロック」と言って揶揄しました。私も当然70年代以前のロック・ファンですので、80年代当時なかなか新しいロックになじめず、好きになれませんでしたが、かといって「産業ロック」と言って批判する人たちには疑問を感じざるを得ませんでした。逆に80年以降のロック・ファンは、70年代以前のロックに対し、音楽性が閉鎖的であることや演奏や録音の技術が未熟であることを理由に挙げて批判的でした。そういった主張にも何度か不愉快な想いをさせられたことを記憶しております。
なぜこのようなことが起きたのか考えるに、お互いにある種の近親憎悪のような感情を抱いていたのではないでしょうか?70年代以前のロック・ファンと80年代以降のロック・ファンそれぞれが、ロックを画一的なものとして捉え、「ロックとはかくあるべき」というお互いの主張をぶつけ合っていたように思います。
しかし、70年代以前のロックと80年代以降のロックを、質的に全く異なる音楽であると理解すれば、このような対立軸は不毛であることに気がつきます。「ロックとジャズはどちらが高度な音楽か?ビートルズとマイルス・デイビスはどちらが偉大か?」などという議論は全くナンセンスであることは容易に理解していただけるかと思います。
では、『ダブル・ファンタジー』の内容に触れていきます。80年の11月17日すなわち死亡する3週間前にリリースされたこのアルバムは、ジョン・レノンにとって生前に発表された最後のアルバムになってしまったわけですが、実は、息子ショーンの育児のための5年間の活動休止後の復帰第一作でもありました。そのため、作品のテーマは家族愛で統一されています。かつての直接的な政治的メッセージを含んだ楽曲はひとつもありません。「ビューティフル・ボーイ」や「ウーマン」をはじめとする美しい詞やメロディーを聴くたびに、まもなく訪れることになるジョンの死を知るべくもないジョン・レノン一家の家族愛を感じ胸が熱くなります。また、サウンド的にも親しみやすい作品に仕上がっています。そういった意味では70年代ロックの総括的な作品と言うより、80年代の幕開けを告げる作品と言ったほうがいいのかもしれません。
ジョン・レノンの死が1980年で、この年を境に大きくロックが変容していくという私の話に「それは単なる偶然だ」と反論される方も多いと思います。確かに、例えジョンが亡くならなかったとしても、テクノロジーや演奏技術の向上やロックの市場拡大は訪れ、産業化は進んでいったと思います。事実『ダブル・ファンタジー』を聞いても80年代の息吹は感じられ、ジョン・レノンもその流れに乗り遅れることはなかったと思います。しかし、今の時代においてもロック界最大のカリスマであるジョン・レノンの死が、スピリチュアルな意味でその後のロックの流れに大きな影響を与えたことは間違いないと確信します。
ロックというのは破壊と創造を繰り返し、変容し続けていく音楽です。時代や地域によって著しい質的相違が生じます。固定観念に捉われるのではなく、その相違を認識し許容することがロックを楽しむコツではないでしょうか?
シリーズとしての「理事長推薦ロック名盤」はとりあえず今回が最終回です。私の連載を読んでいただき、70年代ロックを聞いたことがないという方に少しでも興味を持っていただいたのであればこの上ない幸せです。出来ましたらレンタルでもいいので、私がご紹介したCDを一度聞いてみてください。例え好みに合わないとしても、何かを感じていただけると信じています。
それではまた。
次回は「理事長推薦ロック名盤番外編」をお贈りいたします。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
2008年4月7日月曜日
理事長推薦ロック名盤 第6回
第6回 『ザ・ビートルズ』 ザ・ビートルズ
今回と次回2回にわたり、作品自体の質の高さはもちろんですが、時代の節目となった作品を紹介することで、70年代ロックを私なりに総括してみたいと思います。
今回はビートルズが68年に発表した『ザ・ビートルズ』 です。真っ白なジャケットで、一般的には「ホワイトアルバム」 といったほうが通りがいいようです。
「70年代ロックではないだろう」とおっしゃる方も多いと思いますが、68年という年はクリーム、ヤードバーズといった60年代を代表するバンドが解散する一方で、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、イエスといった70年代を代表するバンドが次々とデビューし、実質的に70年代ロックの幕開けとなった年なのです。
そんな節目の年に発表されたのが「ホワイト・アルバム」です。ストレートなロックン・ロールはもちろんのこと、ブルース、バラード、ハード・ロックさらには効果音と電子音だけで構成された前衛音楽までありとあらゆるジャンルに挑戦し、ビートルズのみならず、それまでの60年代ロックの集大成という内容になっているとともに、来るべき70年代ロックの方向性を示したともいえる作品です。
67年に発表された『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と、69年に発表された『アビー・ロード』の2つの超傑作アルバムにはさまれて、地味な印象の「ホワイト・アルバム」ですが、ビートルズの作品の中では私がもっとも好きなアルバムです。
その後の70年代ロックの隆盛は、第1回から第5回のロック名盤でもご紹介したとおりですが、第1期キング・クリムゾンが解散した74年頃から衰退し始め、私が高校に入学したは78年頃には、私のロック熱とは裏腹に、ロック界全体に閉塞感が漂うようになりました。
当時私は80年がロックにとって大きな節目の年になると予想していました。62年にはビートルズとローリング・ストーンズ(レコードデビューは翌年)がデビューしており、68年と74年に上に書いたような変革があり、6年ごとに大きな変革が起こっていたからです。
別に私に予知能力があるというつもりはさらさらありませんが、予想通り80年にロックは衝撃的な事件とともに大変革を迎えることになります。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
今回と次回2回にわたり、作品自体の質の高さはもちろんですが、時代の節目となった作品を紹介することで、70年代ロックを私なりに総括してみたいと思います。
今回はビートルズが68年に発表した『ザ・ビートルズ』 です。真っ白なジャケットで、一般的には「ホワイトアルバム」 といったほうが通りがいいようです。
「70年代ロックではないだろう」とおっしゃる方も多いと思いますが、68年という年はクリーム、ヤードバーズといった60年代を代表するバンドが解散する一方で、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、イエスといった70年代を代表するバンドが次々とデビューし、実質的に70年代ロックの幕開けとなった年なのです。
そんな節目の年に発表されたのが「ホワイト・アルバム」です。ストレートなロックン・ロールはもちろんのこと、ブルース、バラード、ハード・ロックさらには効果音と電子音だけで構成された前衛音楽までありとあらゆるジャンルに挑戦し、ビートルズのみならず、それまでの60年代ロックの集大成という内容になっているとともに、来るべき70年代ロックの方向性を示したともいえる作品です。
67年に発表された『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と、69年に発表された『アビー・ロード』の2つの超傑作アルバムにはさまれて、地味な印象の「ホワイト・アルバム」ですが、ビートルズの作品の中では私がもっとも好きなアルバムです。
その後の70年代ロックの隆盛は、第1回から第5回のロック名盤でもご紹介したとおりですが、第1期キング・クリムゾンが解散した74年頃から衰退し始め、私が高校に入学したは78年頃には、私のロック熱とは裏腹に、ロック界全体に閉塞感が漂うようになりました。
当時私は80年がロックにとって大きな節目の年になると予想していました。62年にはビートルズとローリング・ストーンズ(レコードデビューは翌年)がデビューしており、68年と74年に上に書いたような変革があり、6年ごとに大きな変革が起こっていたからです。
別に私に予知能力があるというつもりはさらさらありませんが、予想通り80年にロックは衝撃的な事件とともに大変革を迎えることになります。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
2007年12月25日火曜日
理事長推薦ロック名盤 第5回
第5回 『オペラ座の夜』 クィーン
アンケートを取ったわけではありませんが、日本で一番人気のある70年代ロックバンドといえば、クィーンであることに異論はないでしょう。デビュー当時から本国イギリスよりも日本での人気が先行し、70年代はまさにアイドル的人気を誇っていました。ヴォーカルのフレディ・マーキュリーが1991年にHIV感染が原因のニューモシスチス肺炎で死亡し、解散した後もCMソングやドラマの主題歌で多くの人に親しまれているのはご存知の通りです。
私とクィーンの出会いは小学校6年生のときに遡ります。FMラジオから流れてきたそれまで聞いたことのない音楽に私は強い衝撃を受けました。すばらしく延びのあるヴォーカルによるバラードで始まり、突然オペラ調に変化したかと思うと、クライマックスはスピーディーでパワフルなシャッフルリズムで盛り上げていき、最後に再び美しいバラードで締めくくるというそれはドラマティックな曲でした。私は小遣いを貯めて、そのクィーンの代表曲となる「ボヘミアン・ラプソディー」が収められたクィーン4枚目のアルバム『オペラ座の夜』 を買いました。アルバムを通して聞き、さらにぶっ飛びました。フレディーの驚異の音域が織り成すヴォーカルの凄さは言うに及びませんが、ブライアン・メイのギターはまるでオーケストラのように荘厳かつ繊細で、メンバー全員によるコーラスはオペラのように壮大で華麗です。音の一つ一つが複雑に積み重なってゆき、まるで、アルバム全体で巨大で瀟洒な中世の宮殿をイメージさせるようでした。
私がロックという熱病に感染した瞬間でした。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
アンケートを取ったわけではありませんが、日本で一番人気のある70年代ロックバンドといえば、クィーンであることに異論はないでしょう。デビュー当時から本国イギリスよりも日本での人気が先行し、70年代はまさにアイドル的人気を誇っていました。ヴォーカルのフレディ・マーキュリーが1991年にHIV感染が原因のニューモシスチス肺炎で死亡し、解散した後もCMソングやドラマの主題歌で多くの人に親しまれているのはご存知の通りです。
私とクィーンの出会いは小学校6年生のときに遡ります。FMラジオから流れてきたそれまで聞いたことのない音楽に私は強い衝撃を受けました。すばらしく延びのあるヴォーカルによるバラードで始まり、突然オペラ調に変化したかと思うと、クライマックスはスピーディーでパワフルなシャッフルリズムで盛り上げていき、最後に再び美しいバラードで締めくくるというそれはドラマティックな曲でした。私は小遣いを貯めて、そのクィーンの代表曲となる「ボヘミアン・ラプソディー」が収められたクィーン4枚目のアルバム『オペラ座の夜』 を買いました。アルバムを通して聞き、さらにぶっ飛びました。フレディーの驚異の音域が織り成すヴォーカルの凄さは言うに及びませんが、ブライアン・メイのギターはまるでオーケストラのように荘厳かつ繊細で、メンバー全員によるコーラスはオペラのように壮大で華麗です。音の一つ一つが複雑に積み重なってゆき、まるで、アルバム全体で巨大で瀟洒な中世の宮殿をイメージさせるようでした。
私がロックという熱病に感染した瞬間でした。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
2007年10月1日月曜日
理事長推薦ロック名盤 第4回
第4回 『聖なる館』 レッド・ツェッペリン
十一月にツェッペリンが一夜限りの再結成ライブを行うそうです。2万枚のチケットに2000万の応募があったそうです。まさに70年代最強のロック・バンドであることを改めて証明したと言えるでしょう。ちなみにすでに亡くなったジョン・ボーナムの代わりに彼の息子のジェイソン・ボーナムがドラムをたたくようです。私はツェッペリンの大ファンというわけではありませんが、やはり彼らを抜きにして70年代ロックを語るわけには行きません。
しばしば、第2回で紹介したディープ・パープルと共に、ブリティッシュ・ハードロックの代表と言われるツェッペリンですが、「70年代最強」「キング」等と別格扱いされるのは、ブルース、ジャズ、フォークさらには民族音楽をも取り入れ、ハードロックというジャンルでは捉えきることができないその音楽の多様性と完成度の高さによるのではないかと思います。
さて、ツェッペリンの代表作と言えば多くの人は「天国への階段」が収録された『ツェッペリンⅣ』 を挙げると思いますが、私はあえてその次のアルバム『聖なる館』を推薦します。『ツェッペリンⅣ』で完成に至ったツェッペリンが、メロトロンなどの電子楽器を導入し、実験的で幻想的な新たな境地へと我々を誘ってくれます。
「天国への階段」しか知らないという方は、一度聞いてみてはいかがでしょうか?
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
十一月にツェッペリンが一夜限りの再結成ライブを行うそうです。2万枚のチケットに2000万の応募があったそうです。まさに70年代最強のロック・バンドであることを改めて証明したと言えるでしょう。ちなみにすでに亡くなったジョン・ボーナムの代わりに彼の息子のジェイソン・ボーナムがドラムをたたくようです。私はツェッペリンの大ファンというわけではありませんが、やはり彼らを抜きにして70年代ロックを語るわけには行きません。
しばしば、第2回で紹介したディープ・パープルと共に、ブリティッシュ・ハードロックの代表と言われるツェッペリンですが、「70年代最強」「キング」等と別格扱いされるのは、ブルース、ジャズ、フォークさらには民族音楽をも取り入れ、ハードロックというジャンルでは捉えきることができないその音楽の多様性と完成度の高さによるのではないかと思います。
さて、ツェッペリンの代表作と言えば多くの人は「天国への階段」が収録された『ツェッペリンⅣ』 を挙げると思いますが、私はあえてその次のアルバム『聖なる館』を推薦します。『ツェッペリンⅣ』で完成に至ったツェッペリンが、メロトロンなどの電子楽器を導入し、実験的で幻想的な新たな境地へと我々を誘ってくれます。
「天国への階段」しか知らないという方は、一度聞いてみてはいかがでしょうか?
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理事長 岡田 純
2007年7月3日火曜日
理事長推薦ロック名盤 第3回
第3回 『アナザー・グリーン・ワールド』 イーノ
何とか連載第3回までこぎつけました。
評判が悪ければすぐにやめようと思ったのですが、私の駄文をちゃんと読んでくださっている方もおられるようで、お蔭様で連載を続けさせていただいております。
先日も「先生はロックに詳しいようですが、イーノの作品でまず最初に聞くとしたらどれがいいでしょうか?」とご質問をいただきました。その時あげさせていただいたのが、今回ご紹介する『アナザー・グリーン・ワールド』です。
イーノは80年代に「環境音楽」を確立したミュージシャンとして有名です。「環境音楽」といういのは広い意味では周りの環境に埋没する静かな音楽のことですが、イーノが提唱した「環境音楽=アンビエント・ミュージック」はもう少し積極的に「周りの環境を決定づける音楽」という意味を含んでいます。例えば、ウィンドウズ95の起動音はイーノが作曲したのですが、音そのものが「ウィンドウズが起動する」という状況のイメージを作り出していると言えます。
ここまで書くと、「イーノというのは何やら小難しい現代音楽家か?」という印象を与えてしまいますが、もともとはドギツイお化粧をして、ロキシー・ミュージックというバンドに参加していた「ヴィジュアル系ロック・ミュージシャン」(当時そんな言葉はありませんでしたが)でした。
さて、そんなヴィジュアル系だったイーノはロキシー・ミュージックを脱退してソロとなりましたが、生死をさまようほどの交通事故に遭ってしまいます。この事故が音楽的な転機ににもつながったようで、それ以後の作品は明らかに方向性が変化していきます。ちょうどその過渡期である75年に発表された3枚目のソロ・アルバムが『アナザー・グリーン・ワールド』です。それまでのロック系の曲と、以後の「環境音楽」につながっていく曲が違和感なくバランスよく配置され、多くの人にとって聞きやすくクオリティの高い作品となっています。
イーノの代表作であるだけではなく、音楽史的にも重要な作品であると言えます。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
何とか連載第3回までこぎつけました。
評判が悪ければすぐにやめようと思ったのですが、私の駄文をちゃんと読んでくださっている方もおられるようで、お蔭様で連載を続けさせていただいております。
先日も「先生はロックに詳しいようですが、イーノの作品でまず最初に聞くとしたらどれがいいでしょうか?」とご質問をいただきました。その時あげさせていただいたのが、今回ご紹介する『アナザー・グリーン・ワールド』です。
イーノは80年代に「環境音楽」を確立したミュージシャンとして有名です。「環境音楽」といういのは広い意味では周りの環境に埋没する静かな音楽のことですが、イーノが提唱した「環境音楽=アンビエント・ミュージック」はもう少し積極的に「周りの環境を決定づける音楽」という意味を含んでいます。例えば、ウィンドウズ95の起動音はイーノが作曲したのですが、音そのものが「ウィンドウズが起動する」という状況のイメージを作り出していると言えます。
ここまで書くと、「イーノというのは何やら小難しい現代音楽家か?」という印象を与えてしまいますが、もともとはドギツイお化粧をして、ロキシー・ミュージックというバンドに参加していた「ヴィジュアル系ロック・ミュージシャン」(当時そんな言葉はありませんでしたが)でした。
さて、そんなヴィジュアル系だったイーノはロキシー・ミュージックを脱退してソロとなりましたが、生死をさまようほどの交通事故に遭ってしまいます。この事故が音楽的な転機ににもつながったようで、それ以後の作品は明らかに方向性が変化していきます。ちょうどその過渡期である75年に発表された3枚目のソロ・アルバムが『アナザー・グリーン・ワールド』です。それまでのロック系の曲と、以後の「環境音楽」につながっていく曲が違和感なくバランスよく配置され、多くの人にとって聞きやすくクオリティの高い作品となっています。
イーノの代表作であるだけではなく、音楽史的にも重要な作品であると言えます。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
2007年4月3日火曜日
理事長推薦ロック名盤 第2回
第2回 『マシン・ヘッド』 ディープ・パープル
オヤジバンド・ブームだそうです。
押入れの奥に眠っている楽器を引っ張り出したり、あるいは新たに楽器を購入し、バンドを組んで演奏する「かつてのバンド小僧」が増えているようです。
筆者も20年ほど前、大学の軽音でドラムをたたいていた「かつてのバンド小僧」です。2年前、同世代のオヤジたちとライブ・ハウスでセッションをする機会に恵まれました。お互いほどんど初対面同士、聞いていた音楽も好みのジャンルも違うわけで、セッションすると言っても曲の選定に困るわけですが、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は、我々の世代の「かつてのバンド小僧」はほとんど例外なく演奏でき、上手い下手はともかくとして、打ち合わせなしで曲の始まりから終りまで合わすことができます。まさに、ロックのスタンダード中のスタンダードと言えるでしょう。数え切れないほどのミュージシャンがカバーして、現在もCMソングとして流れているので、曲名を知らなくても「ジャッ ジャッ ジャーー ジャッ ジャッ ジャジャーー ジャッ ジャッ ジャーー ジャッ ジャーーーー」というリフを聞いたことがない人は、ほとんどいないのではないでしょうか?
さて、その「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が収録されているのが、72年に発表されたディープ・パープルの最高傑作、いやハード・ロックの最高傑作『マシン・ヘッド』です。
ギターのリッチー・ブラックモア、キーボードのジョン・ロード、ドラムのイアン・ペイス、ベースのロジャー・グローバー、ヴォーカルのイアン・ギランという黄金期のメンバーによる作品で、特にカリスマ・ギタリスト、リッチーのプレイは凄いの一言です。今となってはテクニックでリッチーを上回るギタリストは珍しくありませんが、ワンフレーズ聞いただけでリッチーのそれと解るリフやソロの完成度は、やはり天才的としか言いようがありません。
ロック・ファンならずとも全音楽ファン必聴のアルバムです。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
オヤジバンド・ブームだそうです。
押入れの奥に眠っている楽器を引っ張り出したり、あるいは新たに楽器を購入し、バンドを組んで演奏する「かつてのバンド小僧」が増えているようです。
筆者も20年ほど前、大学の軽音でドラムをたたいていた「かつてのバンド小僧」です。2年前、同世代のオヤジたちとライブ・ハウスでセッションをする機会に恵まれました。お互いほどんど初対面同士、聞いていた音楽も好みのジャンルも違うわけで、セッションすると言っても曲の選定に困るわけですが、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は、我々の世代の「かつてのバンド小僧」はほとんど例外なく演奏でき、上手い下手はともかくとして、打ち合わせなしで曲の始まりから終りまで合わすことができます。まさに、ロックのスタンダード中のスタンダードと言えるでしょう。数え切れないほどのミュージシャンがカバーして、現在もCMソングとして流れているので、曲名を知らなくても「ジャッ ジャッ ジャーー ジャッ ジャッ ジャジャーー ジャッ ジャッ ジャーー ジャッ ジャーーーー」というリフを聞いたことがない人は、ほとんどいないのではないでしょうか?
さて、その「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が収録されているのが、72年に発表されたディープ・パープルの最高傑作、いやハード・ロックの最高傑作『マシン・ヘッド』です。
ギターのリッチー・ブラックモア、キーボードのジョン・ロード、ドラムのイアン・ペイス、ベースのロジャー・グローバー、ヴォーカルのイアン・ギランという黄金期のメンバーによる作品で、特にカリスマ・ギタリスト、リッチーのプレイは凄いの一言です。今となってはテクニックでリッチーを上回るギタリストは珍しくありませんが、ワンフレーズ聞いただけでリッチーのそれと解るリフやソロの完成度は、やはり天才的としか言いようがありません。
ロック・ファンならずとも全音楽ファン必聴のアルバムです。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
2006年12月25日月曜日
理事長推薦ロック名盤 第1回
第1回 『フォックストロット』 ジェネシス
今回から私が独断と偏見で選んだロックの名盤をいくつか紹介します。と言っても、最近のロックはほとんど知りません。私が学生時代に聞いていた70年代ロックが中心です。偏っています。ネタが尽きたらやめます。第1回と書きましたが、今回限りかもしれません。いい加減な連載ですので、適当に読んでください。
ジェネシスは80年代に活躍したヴォーカルとドラム担当のフィル・コリンズ率いるポップなロック・バンドというイメージでご存知の方も多いと思いますが、もともとは、ピーター・ガブリエルがヴォーカルを担当していたプログレッシブ・ロック・バンドでした。フィル・コリンズを知っている人は多いかもしれませんが、ピーター・ガブリエルを知っている人は少ないと思います。でもなぜか今年のトリノ・オリンピックの開会式で「イマジン」を歌っていたので、ヨーロッパではいまだに根強い人気があるのかもしれませんね。
プログレッシブ・ロックというのは直訳すると「進歩的ロック」という意味になりますが、クラシックやジャズを取り入れた複雑なコードやリズムを多用したロックで、今で言うオタク系の人たちに人気があり、我々は「プログレ」と略していました。70年代にはジェネシスも代表的なプログレ・バンドのひとつでした。
『フォックストロット』は73年に発表されたジェネシスの「プログレ」時代の代表アルバムです。ピーター・ガブリエルの妖しげなハスキー・ヴォイスと、ドラムのフィル・コリンズとベースのマイク・ラザフォードが奏でる重量感のある複雑な変拍子と、ギターのスティーブ・ハケットとキーボードのトニー・バンクスが織り成す不思議な旋律が絡み合い、スケールの大きな構築美を形成しています。無人島に1枚だけCDを持って行ってよいと言われたら、私はこの作品を選びます。
是非一度お聞きください。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
今回から私が独断と偏見で選んだロックの名盤をいくつか紹介します。と言っても、最近のロックはほとんど知りません。私が学生時代に聞いていた70年代ロックが中心です。偏っています。ネタが尽きたらやめます。第1回と書きましたが、今回限りかもしれません。いい加減な連載ですので、適当に読んでください。
ジェネシスは80年代に活躍したヴォーカルとドラム担当のフィル・コリンズ率いるポップなロック・バンドというイメージでご存知の方も多いと思いますが、もともとは、ピーター・ガブリエルがヴォーカルを担当していたプログレッシブ・ロック・バンドでした。フィル・コリンズを知っている人は多いかもしれませんが、ピーター・ガブリエルを知っている人は少ないと思います。でもなぜか今年のトリノ・オリンピックの開会式で「イマジン」を歌っていたので、ヨーロッパではいまだに根強い人気があるのかもしれませんね。
プログレッシブ・ロックというのは直訳すると「進歩的ロック」という意味になりますが、クラシックやジャズを取り入れた複雑なコードやリズムを多用したロックで、今で言うオタク系の人たちに人気があり、我々は「プログレ」と略していました。70年代にはジェネシスも代表的なプログレ・バンドのひとつでした。
『フォックストロット』は73年に発表されたジェネシスの「プログレ」時代の代表アルバムです。ピーター・ガブリエルの妖しげなハスキー・ヴォイスと、ドラムのフィル・コリンズとベースのマイク・ラザフォードが奏でる重量感のある複雑な変拍子と、ギターのスティーブ・ハケットとキーボードのトニー・バンクスが織り成す不思議な旋律が絡み合い、スケールの大きな構築美を形成しています。無人島に1枚だけCDを持って行ってよいと言われたら、私はこの作品を選びます。
是非一度お聞きください。
医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純
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