第9回(最終回)
『ザ・キング・イズ・ゴーン』/マーカス・ミラー
前回申し上げましたように、70年代から80年代にかけてのフュージョンを中心に、ジャズの名盤をご紹介してまいりました『理事長推薦ジャズ名盤』ですが、前回に引き続き、時代の節目となった重要な作品を紹介し、連載を終了したいと思います。
最後に紹介するのは、93年に発表された、マーカス・ミラーの『ザ・キング・イズ・ゴーン』です。キングというのは言うまでもなく、マイルス・デイビスのことです。91年にこの世を去ったマイルスへの追悼の意がこめられた作品です。実はこのアルバムの原題は『The Sun Don't Lie』というのですが、「The King Is Gone(For Miles)」という収録曲から邦題がつけられています。日本のレコード会社の人がこのタイトルの方が相応しいと考えたのだと思いますが、マイルス亡き後のジャズを考える上でとても重要な作品であり、この邦題に異論のあるジャズ・ファンは少ないと思います。
マーカス・ミラーは第2回でもご紹介したように、80年代以降人気実力ともにNo.1のベーシストです。ジャズにとどまらず、ロック、ポップス、R&Bなどさまざまなジャンルのおびただしい数のセッションに参加し、アレンジャー、プロデューサーとしても幅広く活躍しています。81年に弱冠22歳でマイルス・バンドに参加してから、晩年のマイルスにとって最重要のパートナーとなっていました。
そんな彼が発表した「マイルス追悼アルバム」とも言うべき『ザ・キング・イズ・ゴーン』には、やはりというべきか、「ジャズ」というジャンルの枠を超えて、彼の活躍してきたありとあらゆる音楽の要素が盛り込まれています。この作品を聴くと、マーカス・ミラーにとって、「ジャズ」のみならず、全ての音楽ジャンルは殆ど意味を成さないと感じさせられます。
デューク・エリントンらによる「スイング・ジャズ」、チャーリー・パーカーらによる「ビ・バップ」、マイルスが提唱しジャズを頂点に導いた「モード・ジャズ」、マイルスが原型を創り、チック・コリアやハービー・ハンコックやウェザー・リポートらによって完成した「フュージョン」等「ジャズ」は時代ごとに、巨人達によってスタイルを変えつつも隆盛を極めてきました。しかし、マイルスの死後、ジャンルとしての「ジャズ」は、かつてのような勢いを失ってしまったかのように見えます。それでも、マーカス・ミラーのような、マイルスのDNAを受け継いだミュージシャン達は「ジャズ」という枠を超え、あらゆるジャンルに進出し、その存在無くしては成り立たなくなっています。言わば「ジャズ」が目に見えない形でさまざまなジャンルの音楽を縁の下で支えているのです。
誤解を恐れずに言えば、『ザ・キング・イズ・ゴーン』はマイルス亡き後、「ジャズの発展的解消」を宣言した作品と言えるのではないでしょうか?
約2年間にわたり連載してまいりました『理事長推薦ジャズ名盤』はこれで終了です。私の拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。
次回より全く別のジャンルについて駄文を連載いたします。お時間ありましたら、またお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。
医療法人一仁会
脳神経リハビリ北大路病院
理事長 岡田 純
2011年1月8日土曜日
理事長推薦ジャズ名盤 第8回
第8回
『イン・ア・サイレント・ウェイ』/マイルス・デイビス
『理事長推薦ロック名盤』の連載は、最後に、作品自体の質の高さはもちろんですが、時代の節目となった2つの作品を紹介することで、70年代ロックを総括し終了しました。 『理事長推薦ジャズ名盤』も70年代から80年代にかけてのフュージョンを中心に、ジャズの名盤をご紹介してまいりましたが、同様に、時代の節目となった2つの作品を紹介し、連載を終了したいと思います。
まずは、69年に発表された、マイルス・デイビスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』を紹介します。今までも再三触れてきましたが、60年代末期、マイルスが電子楽器を導入したことから、ジャズとロックの融合が始まり、フュージョンというスタイルが確立していきました。世間一般では、『イン・ア・サイレント・ウェイ』の次に発表された、『ビッチェズ・ブリュー』が、マイルスによるエレクトリック・ジャズの完成形であり、その後のジャズやロックに多大な影響を与え、フュージョンの原型となった作品であると言われています。セールス的にも『ビッチェズ・ブリュー』は大成功を収め、評論家の評価も極めて高い作品です。それに比べると、『イン・ア・サイレント・ウェイ』は決して評価として低くはないものの、『ビッチェズ・ブリュー』という頂点に至るまでの過渡期的な作品と捉えられがちです。
しかし、私は『ビッチェズ・ブリュー』と『イン・ア・サイレント・ウェイ』は全く別の意図を持って作られた作品ではないかと感じています。特に、リズムのアプローチが全く異なります。『ビッチェズ・ブリュー』ではドラムス2人、ベース2人という変則的なリズム・セクションで、各人が自由度の高い演奏を行い、ポリリズムと言われる複雑なノリを作り出しています。それに比較して『イン・ア・サイレント・ウェイ』はドラムス1人、ベース1人のオーソドックスな編成で、単純な16ビートのリフを繰り返しています。また、『ビッチェズ・ブリュー』ではお互いに音をぶつけ合い、かなり過激な演奏をしているキーボードのジョー・ザヴィヌルとチック・コリア、ギターのジョン・マクラフリン、サックスのウェイン・ショーターといった猛者たちも、『イン・ア・サイレント・ウェイ』ではシンプルで美しい演奏に徹しています。『ビッチェズ・ブリュー』はどちらかと言うと、R&Bやファンクやさらには最近のヒップ・ホップに影響を与えた作品であるのに対し、『イン・ア・サイレント・ウェイ』の方がその後のフュージョンへの方向性を示しているように思われます。この作品には『ビッチェズ・ブリュー』には参加していないハービー・ハンコックも参加しています。この作品に参加した面々がその後フュージョンを完成させ、ジャズの隆盛に貢献したことは、すでに前回までにご紹介したとおりです。
私はジャズ・マニアというほどでもなく、マイルスの大ファンというわけでもありません。したがって、私の持っているマイルスの作品は有名なものばかりで、どれも甲乙つけがたい名作揃いです。しかし、『ビッチェズ・ブリュー』だけは何度聞いても馴染めません。コアなジャズ・マニアやマイルス・ファンからは「耳障りのいいフュージョンばかり聴いているから『ビッチェズ・ブリュー』の良さが解らないのだ。お前にジャズを語る資格はない」と言われそうですが、別に私は評論家でも何でもないのでお許しください。
『イン・ア・サイレント・ウェイ』は地味ですが、私のような耳の痩せた者にも聴きやすい作品です。かつ、その後のフュージョンの原型となった作品です。ぜひ、一度お聴きください。
次回はいよいよ最終回です。
医療法人一仁会
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理事長 岡田 純
『イン・ア・サイレント・ウェイ』/マイルス・デイビス
『理事長推薦ロック名盤』の連載は、最後に、作品自体の質の高さはもちろんですが、時代の節目となった2つの作品を紹介することで、70年代ロックを総括し終了しました。 『理事長推薦ジャズ名盤』も70年代から80年代にかけてのフュージョンを中心に、ジャズの名盤をご紹介してまいりましたが、同様に、時代の節目となった2つの作品を紹介し、連載を終了したいと思います。
まずは、69年に発表された、マイルス・デイビスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』を紹介します。今までも再三触れてきましたが、60年代末期、マイルスが電子楽器を導入したことから、ジャズとロックの融合が始まり、フュージョンというスタイルが確立していきました。世間一般では、『イン・ア・サイレント・ウェイ』の次に発表された、『ビッチェズ・ブリュー』が、マイルスによるエレクトリック・ジャズの完成形であり、その後のジャズやロックに多大な影響を与え、フュージョンの原型となった作品であると言われています。セールス的にも『ビッチェズ・ブリュー』は大成功を収め、評論家の評価も極めて高い作品です。それに比べると、『イン・ア・サイレント・ウェイ』は決して評価として低くはないものの、『ビッチェズ・ブリュー』という頂点に至るまでの過渡期的な作品と捉えられがちです。
しかし、私は『ビッチェズ・ブリュー』と『イン・ア・サイレント・ウェイ』は全く別の意図を持って作られた作品ではないかと感じています。特に、リズムのアプローチが全く異なります。『ビッチェズ・ブリュー』ではドラムス2人、ベース2人という変則的なリズム・セクションで、各人が自由度の高い演奏を行い、ポリリズムと言われる複雑なノリを作り出しています。それに比較して『イン・ア・サイレント・ウェイ』はドラムス1人、ベース1人のオーソドックスな編成で、単純な16ビートのリフを繰り返しています。また、『ビッチェズ・ブリュー』ではお互いに音をぶつけ合い、かなり過激な演奏をしているキーボードのジョー・ザヴィヌルとチック・コリア、ギターのジョン・マクラフリン、サックスのウェイン・ショーターといった猛者たちも、『イン・ア・サイレント・ウェイ』ではシンプルで美しい演奏に徹しています。『ビッチェズ・ブリュー』はどちらかと言うと、R&Bやファンクやさらには最近のヒップ・ホップに影響を与えた作品であるのに対し、『イン・ア・サイレント・ウェイ』の方がその後のフュージョンへの方向性を示しているように思われます。この作品には『ビッチェズ・ブリュー』には参加していないハービー・ハンコックも参加しています。この作品に参加した面々がその後フュージョンを完成させ、ジャズの隆盛に貢献したことは、すでに前回までにご紹介したとおりです。
私はジャズ・マニアというほどでもなく、マイルスの大ファンというわけでもありません。したがって、私の持っているマイルスの作品は有名なものばかりで、どれも甲乙つけがたい名作揃いです。しかし、『ビッチェズ・ブリュー』だけは何度聞いても馴染めません。コアなジャズ・マニアやマイルス・ファンからは「耳障りのいいフュージョンばかり聴いているから『ビッチェズ・ブリュー』の良さが解らないのだ。お前にジャズを語る資格はない」と言われそうですが、別に私は評論家でも何でもないのでお許しください。
『イン・ア・サイレント・ウェイ』は地味ですが、私のような耳の痩せた者にも聴きやすい作品です。かつ、その後のフュージョンの原型となった作品です。ぜひ、一度お聴きください。
次回はいよいよ最終回です。
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理事長 岡田 純
2010年8月26日木曜日
理事長推薦ジャズ名盤 第7回
第7回
『リターン・トゥー・フォーエヴァー』 /チック・コリア
前回に引き続き、チック・コリアの作品を紹介します。ロック番外編を含めると3回目の登場です。実は、私の一番好きなジャズ・プレイヤーはマイルス・デイビスでもチャーリー・パーカーでもなく、チック・コリアなのです。そのチック・コリアの最高傑作と言われているのが、今回紹介する72年の作品『リターン・トゥー・フォーエヴァー』です。水面すれすれに滑空するカモメのジャケット、ラテン・フレーバー漂うチックによるオリジナル曲の完成度、スタンリー・クラークによる超絶技巧ベース・プレイ、そしてもちろんチックの華麗なキーボード・プレイ、どれをとっても完璧です。この作品はジャズのアルバムとしては異例の大ヒットとなり、チック・コリアもその後この作品の延長線上にある何枚かのフュージョン作品を「 リターン・トゥー・フォーエヴァー」名義で発表することになります。ロック番外編で紹介した『浪漫の騎士』はその中の1枚ということになります。『リターン・トゥー・フォーエヴァー』はチック・コリア自身にとってもターニング・ポイントとなる重要な作品なのです。
同時にこの作品はジャズ界全体にとっても大きな意味合いを持つ作品です。まず、ラテンのリズムやフレーズを巧みに取り入れたスピーディーでスリリングな曲調そのものが、その後全盛を迎えることになるフュージョンの雛形となっていきます。また、演奏スタイルもその後のジャズに大きな影響を与えました。チックはこの作品の中でアコースティック・ピアノを一切弾いていません。全てフェンダー社製の「ローズ」というエレクトリック・ピアノを使用しています。曲調にマッチしたその透明感のある爽やかな音色は、その後のフュージョン・サウンドに欠かせない要素になり、80年代にデジタル・シンセサイザーが登場するまで、全盛を極めます。余談ですが、チックに「ローズ」を弾くように勧めたのはマイルスだそうです。
数多あるジャズの作品の中で1枚だけ選べと言われれば、私は迷わずこの作品を選びます。
医療法人一仁会
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理事長 岡田 純
『リターン・トゥー・フォーエヴァー』 /チック・コリア
前回に引き続き、チック・コリアの作品を紹介します。ロック番外編を含めると3回目の登場です。実は、私の一番好きなジャズ・プレイヤーはマイルス・デイビスでもチャーリー・パーカーでもなく、チック・コリアなのです。そのチック・コリアの最高傑作と言われているのが、今回紹介する72年の作品『リターン・トゥー・フォーエヴァー』です。水面すれすれに滑空するカモメのジャケット、ラテン・フレーバー漂うチックによるオリジナル曲の完成度、スタンリー・クラークによる超絶技巧ベース・プレイ、そしてもちろんチックの華麗なキーボード・プレイ、どれをとっても完璧です。この作品はジャズのアルバムとしては異例の大ヒットとなり、チック・コリアもその後この作品の延長線上にある何枚かのフュージョン作品を「 リターン・トゥー・フォーエヴァー」名義で発表することになります。ロック番外編で紹介した『浪漫の騎士』はその中の1枚ということになります。『リターン・トゥー・フォーエヴァー』はチック・コリア自身にとってもターニング・ポイントとなる重要な作品なのです。
同時にこの作品はジャズ界全体にとっても大きな意味合いを持つ作品です。まず、ラテンのリズムやフレーズを巧みに取り入れたスピーディーでスリリングな曲調そのものが、その後全盛を迎えることになるフュージョンの雛形となっていきます。また、演奏スタイルもその後のジャズに大きな影響を与えました。チックはこの作品の中でアコースティック・ピアノを一切弾いていません。全てフェンダー社製の「ローズ」というエレクトリック・ピアノを使用しています。曲調にマッチしたその透明感のある爽やかな音色は、その後のフュージョン・サウンドに欠かせない要素になり、80年代にデジタル・シンセサイザーが登場するまで、全盛を極めます。余談ですが、チックに「ローズ」を弾くように勧めたのはマイルスだそうです。
数多あるジャズの作品の中で1枚だけ選べと言われれば、私は迷わずこの作品を選びます。
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理事長 岡田 純
理事長推薦ジャズ名盤 第6回
『チック・コリア・エレクトリック・バンド』チック・コリア・エレクトリック・バンド
誰しも、その後の人生に大きく影響した、二度と忘れることの出来ない感動的な経験をお持ちと思いますが、私にとっては、1986年「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」でのチック・コリア・エレクトリック・バンドのパフォーマンスは、私が今まで観てきたライブの中で間違いなくベストであり、二度と忘れることの出来ない衝撃的な体験となりました。
「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」については、すでに第1回ジャズ名盤で説明しましたが、もう一度触れておきます。日本たばこ産業がメイン・スポンサーとなり、77年から92年にかけて行われた大規模な野外ジャズ・フェスティバルで、大阪では「万博公園お祭り広場」で毎年8月に開催されました。今となっては考えられないのですが、学生にも手が届くリーズナブルな料金で、マイルス・デイビスやチック・コリアやハービー・ハンコックといったスーパー・スターたちのライブを見ることが出来たのです。
86年、チック・コリア・エレクトリック・バンドのデビュー作である『チック・コリア・エレクトリック・バンド』が発表されるやいなや、チック・コリアの大ファンであった私は、すぐにレコードを買い針を落としました。(まだ、CDプレーヤーを持っていなかったのです。)そのネーミングから、電子楽器を多用したロック色の強いフュージョンで、ロック名盤番外編でもご紹介したリターン・トゥー・フォーエヴァーの延長線上の音を予想したのですが、私にとっては期待以上の出来栄えでした。チックの演奏はもちろん超一流ですが、ドラムのデイヴ・ウェックル、ベースのジョン・パティトゥッチといった若きミュージシャンもスーパー・テクニックを披露し、そのスピード感はリターン・トゥー・フォーエヴァーを上回るものでした。そして、一番びっくりしたのは、シーケンサーを使用していたことです。ジャズは即興性が一番の特徴であり、曲のテンポ、リズム、長さなど、演奏するごとに変化するのが普通です。シーケンサーを使用し、あらかじめプログラムすることは、これらを固定してしまうことになります。「これはもはやジャズではない」と思ったジャズ・ファンも多かったことでしょう。しかし、私は、「演奏自体は躍動感に溢れていて、ジャズのスピリットは全く損なわれていない」と感じました。
この作品が発表されて間もなく、「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」でチック・コリア・エレクトリック・バンドが初来日します。シーケンサーを使用した曲がライブでどのように演奏されるのか期待と不安の入り混じった気持ちで観に行きました。そして、目の前で、俄かには信じがたいパフォーマンスが繰り広げられました。レコードと同様にシーケンサーを使用しながら、それ以上のスピード感、躍動感で、圧倒的な演奏を披露したのです。最後の曲が終了した時、会場全体から大きな拍手とともにどよめきのような歓声が上がり、私の全身に鳥肌が立ちました。
今でも、この作品を聞くたびに、そのときの情景がまざまざと脳裏に蘇り、深い感動に包まれます
誰しも、その後の人生に大きく影響した、二度と忘れることの出来ない感動的な経験をお持ちと思いますが、私にとっては、1986年「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」でのチック・コリア・エレクトリック・バンドのパフォーマンスは、私が今まで観てきたライブの中で間違いなくベストであり、二度と忘れることの出来ない衝撃的な体験となりました。
「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」については、すでに第1回ジャズ名盤で説明しましたが、もう一度触れておきます。日本たばこ産業がメイン・スポンサーとなり、77年から92年にかけて行われた大規模な野外ジャズ・フェスティバルで、大阪では「万博公園お祭り広場」で毎年8月に開催されました。今となっては考えられないのですが、学生にも手が届くリーズナブルな料金で、マイルス・デイビスやチック・コリアやハービー・ハンコックといったスーパー・スターたちのライブを見ることが出来たのです。
86年、チック・コリア・エレクトリック・バンドのデビュー作である『チック・コリア・エレクトリック・バンド』が発表されるやいなや、チック・コリアの大ファンであった私は、すぐにレコードを買い針を落としました。(まだ、CDプレーヤーを持っていなかったのです。)そのネーミングから、電子楽器を多用したロック色の強いフュージョンで、ロック名盤番外編でもご紹介したリターン・トゥー・フォーエヴァーの延長線上の音を予想したのですが、私にとっては期待以上の出来栄えでした。チックの演奏はもちろん超一流ですが、ドラムのデイヴ・ウェックル、ベースのジョン・パティトゥッチといった若きミュージシャンもスーパー・テクニックを披露し、そのスピード感はリターン・トゥー・フォーエヴァーを上回るものでした。そして、一番びっくりしたのは、シーケンサーを使用していたことです。ジャズは即興性が一番の特徴であり、曲のテンポ、リズム、長さなど、演奏するごとに変化するのが普通です。シーケンサーを使用し、あらかじめプログラムすることは、これらを固定してしまうことになります。「これはもはやジャズではない」と思ったジャズ・ファンも多かったことでしょう。しかし、私は、「演奏自体は躍動感に溢れていて、ジャズのスピリットは全く損なわれていない」と感じました。
この作品が発表されて間もなく、「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」でチック・コリア・エレクトリック・バンドが初来日します。シーケンサーを使用した曲がライブでどのように演奏されるのか期待と不安の入り混じった気持ちで観に行きました。そして、目の前で、俄かには信じがたいパフォーマンスが繰り広げられました。レコードと同様にシーケンサーを使用しながら、それ以上のスピード感、躍動感で、圧倒的な演奏を披露したのです。最後の曲が終了した時、会場全体から大きな拍手とともにどよめきのような歓声が上がり、私の全身に鳥肌が立ちました。
今でも、この作品を聞くたびに、そのときの情景がまざまざと脳裏に蘇り、深い感動に包まれます
2010年1月7日木曜日
理事長推薦ジャズ名盤 第5回
『アンオーソドックス・ビヘイビアー 』 ブランドX
第4回までに述べたように、70年代から本格的にジャズからロックへのアプローチが始まり、フュージョンというジャンルが確立していったわけですが、当然同時進行的にロックからジャズへのアプローチも進んでいきました。今回はロック畑、しかもイギリスのミュージシャンによるフュージョン作品をご紹介します。76年に発表されたブランドXのデビューアルバム『アンオーソドックス・ビヘイビアー 』です。メンバーはジョン・グッドサル (ギター)、パーシー・ジョーンズ(ベース)、ロビン・ラムリー(キーボード)、そして、第1回ロック名盤で紹介した、ジェネシスのリーダーであり、ドラマー兼ヴォーカリストのフィル・コリンズがドラムを担当しています。フィル・コリンズがあまりにも有名なので、フィルのソロ・プロジェクトと誤解されがちですが、ブランドXのデビュー前に、最後に呼ばれ参加したのがフィルのようです。
とにかく、各メンバーが超絶技巧をこれでもかと競い合う、聞いた後でお腹いっぱい、カロリーいっぱいの作品です。特に、ポップバンドとしてのジェネシスや、ソロ歌手としてのフィル・コリンズしか知らない人にとっては、唖然とするような音数のドラミングを聴くことができ、驚愕していただけること間違いありません。
しかし、ブランドXのサウンドを一番特徴付けているのは、紛れもなく、 パーシー・ジョーンズのベースです。彼のフレットレス・ベースによるハーモニクス奏法(弦を指板まで押さえつけず軽く触れる程度で弾き、倍音だけ鳴らす奏法 )は得体のしれないフレーズを創り出し、二度と忘れることのできない強烈な印象を植え付けてくれます。同様にフレットレス・ベースでハーモニクス奏法を得意とした一番有名なベーシストはジャコ・パストリアスですが、パーシー・ジョーンズはより実験的でより過激な音を聴かせてくれます。
ブランドXはバンドというよりも、流動メンバーによるプロジェクトという傾向が強く、この後も、さまざまなメンバーにより、実験的な作品が作られていくことになりますが、すでに、76年という時代に、デビューアルバムにおいて、発展途上のフュージョンではなく完成形を創り出していることに大きな驚きと感動を覚えます。
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脳神経リハビリ北大路病院
理事長 岡田 純
第4回までに述べたように、70年代から本格的にジャズからロックへのアプローチが始まり、フュージョンというジャンルが確立していったわけですが、当然同時進行的にロックからジャズへのアプローチも進んでいきました。今回はロック畑、しかもイギリスのミュージシャンによるフュージョン作品をご紹介します。76年に発表されたブランドXのデビューアルバム『アンオーソドックス・ビヘイビアー 』です。メンバーはジョン・グッドサル (ギター)、パーシー・ジョーンズ(ベース)、ロビン・ラムリー(キーボード)、そして、第1回ロック名盤で紹介した、ジェネシスのリーダーであり、ドラマー兼ヴォーカリストのフィル・コリンズがドラムを担当しています。フィル・コリンズがあまりにも有名なので、フィルのソロ・プロジェクトと誤解されがちですが、ブランドXのデビュー前に、最後に呼ばれ参加したのがフィルのようです。
とにかく、各メンバーが超絶技巧をこれでもかと競い合う、聞いた後でお腹いっぱい、カロリーいっぱいの作品です。特に、ポップバンドとしてのジェネシスや、ソロ歌手としてのフィル・コリンズしか知らない人にとっては、唖然とするような音数のドラミングを聴くことができ、驚愕していただけること間違いありません。
しかし、ブランドXのサウンドを一番特徴付けているのは、紛れもなく、 パーシー・ジョーンズのベースです。彼のフレットレス・ベースによるハーモニクス奏法(弦を指板まで押さえつけず軽く触れる程度で弾き、倍音だけ鳴らす奏法 )は得体のしれないフレーズを創り出し、二度と忘れることのできない強烈な印象を植え付けてくれます。同様にフレットレス・ベースでハーモニクス奏法を得意とした一番有名なベーシストはジャコ・パストリアスですが、パーシー・ジョーンズはより実験的でより過激な音を聴かせてくれます。
ブランドXはバンドというよりも、流動メンバーによるプロジェクトという傾向が強く、この後も、さまざまなメンバーにより、実験的な作品が作られていくことになりますが、すでに、76年という時代に、デビューアルバムにおいて、発展途上のフュージョンではなく完成形を創り出していることに大きな驚きと感動を覚えます。
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脳神経リハビリ北大路病院
理事長 岡田 純
2009年11月9日月曜日
理事長推薦ジャズ名盤 第4回
『ドミノ・セオリー』 ウェザー・リポート
フュージョン全盛時代の70年代から80年代にかけて、人気実力No.1のジャズ・フュージョン・グループが、ウェザー・リポートです。オーストリア出身のキーボード奏者ジョー・ザヴィヌルとサックスのウェイン・ショーターを中心とするバンドですが、年を経るごとにザヴィヌルがイニシアティブをとってゆくことになります。同時代、チック・コリアやハービー・ハンコックといった多くのジャズ・ピアノの巨匠たちもフュージョンやロックへアプローチし、シンセサイザーを積極的に用いていきますが、彼らのフレーズがピアノで奏でてもかっこよく美しいメロディーが多いのに対し、ザヴィヌルの摩訶不思議なフレーズはシンセサイザーでなければ意味を成しません。最もシンセサイザーを研究し、使いこなしたジャズ・プレイヤーの一人であったと考えます。
一般にウェザー・リポートの全盛期は『ヘビー・ウェザー』や『8:30』を発表した、天才ベーシスト、ジャコ・パストリアス在籍時代と言われています。しかし、私はあえてパストリアス脱退後、84年に発表された『ドミノ・セオリー』を推薦いたします。
理由はザヴィヌルのプレイもさることながら、オマー・ハキムの凄まじいまでのドラミングを聴いていただきたいからです。オマー・ハキムの魅力は超絶技巧だけでなく、その独特のグルーヴ感にあります。「グルーヴ」という言葉の正確な定義はありませんが、リズムの「ノリ」とか「うねり」と表現すれば解りやすいでしょうか?しかもそのグルーヴ感を曲ごとに自由自在に変化適応させていく柔軟性を持っているのです。彼の活躍の場はジャズに留まらず、デヴィッド・ボウイ、スティング等のロックやマドンナ、セリーヌ・ディオン等のポップス、さらにはSMAPといった歌謡曲にまで及んでいます。しかも彼はそれぞれのジャンルで超一流のプレイを披露しています。私は、オマー・ハキムが現時点において世界一、いや宇宙一のドラマーであると考えています。
どうぞ、ザヴィヌルのシュールなシンセサイザーと、オマー・ハキムの宇宙一のドラムを堪能してください。
医療法人一仁会
脳神経リハビリ北大路病院
理事長 岡田 純
フュージョン全盛時代の70年代から80年代にかけて、人気実力No.1のジャズ・フュージョン・グループが、ウェザー・リポートです。オーストリア出身のキーボード奏者ジョー・ザヴィヌルとサックスのウェイン・ショーターを中心とするバンドですが、年を経るごとにザヴィヌルがイニシアティブをとってゆくことになります。同時代、チック・コリアやハービー・ハンコックといった多くのジャズ・ピアノの巨匠たちもフュージョンやロックへアプローチし、シンセサイザーを積極的に用いていきますが、彼らのフレーズがピアノで奏でてもかっこよく美しいメロディーが多いのに対し、ザヴィヌルの摩訶不思議なフレーズはシンセサイザーでなければ意味を成しません。最もシンセサイザーを研究し、使いこなしたジャズ・プレイヤーの一人であったと考えます。
一般にウェザー・リポートの全盛期は『ヘビー・ウェザー』や『8:30』を発表した、天才ベーシスト、ジャコ・パストリアス在籍時代と言われています。しかし、私はあえてパストリアス脱退後、84年に発表された『ドミノ・セオリー』を推薦いたします。
理由はザヴィヌルのプレイもさることながら、オマー・ハキムの凄まじいまでのドラミングを聴いていただきたいからです。オマー・ハキムの魅力は超絶技巧だけでなく、その独特のグルーヴ感にあります。「グルーヴ」という言葉の正確な定義はありませんが、リズムの「ノリ」とか「うねり」と表現すれば解りやすいでしょうか?しかもそのグルーヴ感を曲ごとに自由自在に変化適応させていく柔軟性を持っているのです。彼の活躍の場はジャズに留まらず、デヴィッド・ボウイ、スティング等のロックやマドンナ、セリーヌ・ディオン等のポップス、さらにはSMAPといった歌謡曲にまで及んでいます。しかも彼はそれぞれのジャンルで超一流のプレイを披露しています。私は、オマー・ハキムが現時点において世界一、いや宇宙一のドラマーであると考えています。
どうぞ、ザヴィヌルのシュールなシンセサイザーと、オマー・ハキムの宇宙一のドラムを堪能してください。
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理事長 岡田 純
2009年7月1日水曜日
理事長推薦 ジャズ名盤 第3回
『想い出のサン・ロレンツォ』 パット・メセニー・グループ
パット・メセニーは、ロックに近いジャズからアヴァン・ギャルドまで、実に幅広い活動を行い、人気・実力No.1のジャズ・ギタリストです。ジャコ・パストリアスやオーネット・コールマンなど多くのミュージシャンと競演し、さまざまなジャンルに挑戦していますが、やはり、彼の魅力が最も引き立つのは、盟友であるキーボーディスト、ラリル・メイズとの競演しているパット・メセニー・グループでのプレイだと思います。その原点といえるのが、78年に発表されたパット・メセニー・グループとしてのファースト・アルバム『想い出のサン・ロレンツォ』 です。
こんなに爽やかなフュージョン・サウンドは他ではなかなか聞くことが出来ません。アルバムタイトルである1曲目の冒頭から、メセニーのギターとメイズのピアノによる透き通るような美しいコードが響きわたり、そこへマーク・イーガンの哀愁漂うフレットレス・ベースの旋律が絡まり、心を洗濯機で洗われたような気持ちになります。さらに曲が進むに従い、ステンドグラスから降りてくるオレンジ色の光のシャワーで包み込まれるような清涼感に満たされていきます。(フィレンツェ にあるサン・ロレンツォ教会へはもちろん行ったことがありません。サン・ロレンツォ教会にステンドグラスがあるのか、それがオレンジ色なのか全く知りません。単なる私の想像です。あしからず。)
そうそう簡単にはイタリアへ行く事は出来ませんが、『想い出のサン・ロレンツォ』 はレンタルでも簡単に手に入ります。是非お聴きいただき、心の旅を堪能していただければと思います。
医療法人一仁会
脳神経リハビリ北大路病院
理事長 岡田 純
パット・メセニーは、ロックに近いジャズからアヴァン・ギャルドまで、実に幅広い活動を行い、人気・実力No.1のジャズ・ギタリストです。ジャコ・パストリアスやオーネット・コールマンなど多くのミュージシャンと競演し、さまざまなジャンルに挑戦していますが、やはり、彼の魅力が最も引き立つのは、盟友であるキーボーディスト、ラリル・メイズとの競演しているパット・メセニー・グループでのプレイだと思います。その原点といえるのが、78年に発表されたパット・メセニー・グループとしてのファースト・アルバム『想い出のサン・ロレンツォ』 です。
こんなに爽やかなフュージョン・サウンドは他ではなかなか聞くことが出来ません。アルバムタイトルである1曲目の冒頭から、メセニーのギターとメイズのピアノによる透き通るような美しいコードが響きわたり、そこへマーク・イーガンの哀愁漂うフレットレス・ベースの旋律が絡まり、心を洗濯機で洗われたような気持ちになります。さらに曲が進むに従い、ステンドグラスから降りてくるオレンジ色の光のシャワーで包み込まれるような清涼感に満たされていきます。(フィレンツェ にあるサン・ロレンツォ教会へはもちろん行ったことがありません。サン・ロレンツォ教会にステンドグラスがあるのか、それがオレンジ色なのか全く知りません。単なる私の想像です。あしからず。)
そうそう簡単にはイタリアへ行く事は出来ませんが、『想い出のサン・ロレンツォ』 はレンタルでも簡単に手に入ります。是非お聴きいただき、心の旅を堪能していただければと思います。
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理事長 岡田 純
2009年3月31日火曜日
理事長推薦ジャズ名盤 第2回
第2回『TUTU』 /マイルス・デイヴィス
第2回目にして早くも帝王マイルス・デイヴィスの作品を紹介します。マイルスは言うまでもなく、ジャズ界最大の巨星であり、その作品は音楽的にも歴史的にも重要なものばかりです。おそらく、彼の代表作を1枚挙げるとなると、人によってそれぞれ全く異なる作品を選ぶのではないでしょうか?私は、晩年の86年に発表されたこの作品を推薦いたします。
この作品を推薦する理由としては、リアルタイムに聴いていて愛着があるというのももちろんですが、大変聴きやすく、初めてマイルスを聴くにはもってこいの1枚と考えるからです。
この作品では、プロデューサーにトミー・リピューマとマーカス・ミラーが起用されています。トミー・リピューマはYMOを全世界に紹介したことで、日本でもお馴染みのポップス界の名プロデューサーです。マーカス・ミラーは80年代以降人気実力ともにNo.1のベーシストで、ジャズにとどまらず、ロック、ポップス、R&Bなどあらゆるジャンルのおびただしい数のセッションに参加しています。プロデューサーとしても幅広く活躍しています。
そんな2人がプロデュースしたこの作品は、当時の最先端サウンドで満ち溢れています。デジタル・シンセサイザーを多用し、シーケンサーを用いたいわゆる「打ち込み」の曲も多くあります。4ビートの曲はありません。今聴いても全く古さを感じさせません。
特に、ほとんどの曲にベースのみならずマルチプレイヤーとして参加し、作曲編曲もこなしているマーカス・ミラーの存在感は圧倒的です。彼の透き通るような美しい音色のスラップ奏法(弦をネックに強く当てて大きな音を出す奏法)が随所で聞かれ、マニアにとって流涎ものです。この作品はマイルスとマーカス・ミラーの共作といっても過言ではではないでしょう。
とにかく「かっこいい」という言葉がぴったりな1枚です。
医療法人一仁会
脳神経リハビリ北大路病院
理事長 岡田 純
第2回目にして早くも帝王マイルス・デイヴィスの作品を紹介します。マイルスは言うまでもなく、ジャズ界最大の巨星であり、その作品は音楽的にも歴史的にも重要なものばかりです。おそらく、彼の代表作を1枚挙げるとなると、人によってそれぞれ全く異なる作品を選ぶのではないでしょうか?私は、晩年の86年に発表されたこの作品を推薦いたします。
この作品を推薦する理由としては、リアルタイムに聴いていて愛着があるというのももちろんですが、大変聴きやすく、初めてマイルスを聴くにはもってこいの1枚と考えるからです。
この作品では、プロデューサーにトミー・リピューマとマーカス・ミラーが起用されています。トミー・リピューマはYMOを全世界に紹介したことで、日本でもお馴染みのポップス界の名プロデューサーです。マーカス・ミラーは80年代以降人気実力ともにNo.1のベーシストで、ジャズにとどまらず、ロック、ポップス、R&Bなどあらゆるジャンルのおびただしい数のセッションに参加しています。プロデューサーとしても幅広く活躍しています。
そんな2人がプロデュースしたこの作品は、当時の最先端サウンドで満ち溢れています。デジタル・シンセサイザーを多用し、シーケンサーを用いたいわゆる「打ち込み」の曲も多くあります。4ビートの曲はありません。今聴いても全く古さを感じさせません。
特に、ほとんどの曲にベースのみならずマルチプレイヤーとして参加し、作曲編曲もこなしているマーカス・ミラーの存在感は圧倒的です。彼の透き通るような美しい音色のスラップ奏法(弦をネックに強く当てて大きな音を出す奏法)が随所で聞かれ、マニアにとって流涎ものです。この作品はマイルスとマーカス・ミラーの共作といっても過言ではではないでしょう。
とにかく「かっこいい」という言葉がぴったりな1枚です。
医療法人一仁会
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理事長 岡田 純
2009年1月30日金曜日
理事長推薦ジャズ名盤 第1回
第1回『ライブ・アンダー・ザ・スカイ伝説』 /V.S.O.P.クインテット
第1回目のジャズ名盤としては別の作品を考えていたのですが、1月1日の朝刊にフレディ・ハバートの訃報が掲載されていたのを目にし、急遽変更いたしました。彼への追悼の意味を込めてこの作品をご紹介します。
内容に触れる前に「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」についてご説明します。日本たばこ産業がメイン・スポンサーとなり、77年から92年にかけて行われた大規模な野外ジャズ・フェスティバルで、大阪では「万博公園お祭り広場」で毎年8月に開催されました。今となっては考えられないのですが、学生にも手が届くリーズナブルな料金(5,000円位だったと思います)で、マイルス・デイビスやチック・コリアやハービー・ハンコックといったスーパー・スターたちのライブを見ることが出来たのです。バブル景気のなせる業でした。私も80年代にはほぼ毎年通い続けたものでした。しかし、残念ながらバブルがはじけ、スポンサーが撤退し、フジ・ジャズ・フェスティバル等他の大規模な野外ジャズ・フェスティバル同様終了となってしまいました。2000年代に入り、各地で野外ロック・フェスティバルが盛り上がりを見せているので、何とか「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」も復活してほしいものです。
さて、『ライブ・アンダー・ザ・スカイ伝説』 は79年の第3回「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」田園コロシアムでのライブ録音です。『伝説』と仰々しい言葉がついていますが、これは決して誇張ではありません。この日東京は豪雨に見舞われのですが、V.S.O.P.クインテットが1曲目の「アイ・オブ・ザ・ハリケーン」を演奏している間だけ曲のタイトルどおり雨がやんだという嘘のような逸話が残っているのです。もちろん聞いていただければ解りますが、演奏自体も凄まじく、『伝説』と呼ぶに相応しいものです。
メンバーはハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムス(ドラムス)、ウェイン・ショーター(サックス)、そして、トランペットのフレディ・ハバートです。つまり、60年代のマイルス黄金期のメンバーが再結集して、病気療養中であったマイルスの代わりにフレディ・ハバートが参加したユニットがV.S.O.P.クインテットということになります。
2曲目以降は再び豪雨となり、演奏者も観客もずぶぬれになっていたとのことですが、逆にそれが観客との一体感を増していきます。ライナーノーツにもハンコックの言葉として紹介されていますが、「自然のインプロヴィゼーションが演奏者のインプロヴィゼーションを触発」していったようです。前回紹介した『浪漫の騎士』では計算され尽くした演奏技術の極限を聴くことが出来ますが、『ライブ・アンダー・ザ・スカイ伝説』 では即興での演奏技術の極限を堪能することが出来ます。
1997年にはトニー・ウィリアムスがこの世を去り、今回フレディ・ハバートも亡くなりました。しかし、彼らが残した『ライブ・アンダー・ザ・スカイ伝説』 は永遠に語り継がれることでしょう。
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理事長 岡田 純
第1回目のジャズ名盤としては別の作品を考えていたのですが、1月1日の朝刊にフレディ・ハバートの訃報が掲載されていたのを目にし、急遽変更いたしました。彼への追悼の意味を込めてこの作品をご紹介します。
内容に触れる前に「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」についてご説明します。日本たばこ産業がメイン・スポンサーとなり、77年から92年にかけて行われた大規模な野外ジャズ・フェスティバルで、大阪では「万博公園お祭り広場」で毎年8月に開催されました。今となっては考えられないのですが、学生にも手が届くリーズナブルな料金(5,000円位だったと思います)で、マイルス・デイビスやチック・コリアやハービー・ハンコックといったスーパー・スターたちのライブを見ることが出来たのです。バブル景気のなせる業でした。私も80年代にはほぼ毎年通い続けたものでした。しかし、残念ながらバブルがはじけ、スポンサーが撤退し、フジ・ジャズ・フェスティバル等他の大規模な野外ジャズ・フェスティバル同様終了となってしまいました。2000年代に入り、各地で野外ロック・フェスティバルが盛り上がりを見せているので、何とか「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」も復活してほしいものです。
さて、『ライブ・アンダー・ザ・スカイ伝説』 は79年の第3回「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」田園コロシアムでのライブ録音です。『伝説』と仰々しい言葉がついていますが、これは決して誇張ではありません。この日東京は豪雨に見舞われのですが、V.S.O.P.クインテットが1曲目の「アイ・オブ・ザ・ハリケーン」を演奏している間だけ曲のタイトルどおり雨がやんだという嘘のような逸話が残っているのです。もちろん聞いていただければ解りますが、演奏自体も凄まじく、『伝説』と呼ぶに相応しいものです。
メンバーはハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムス(ドラムス)、ウェイン・ショーター(サックス)、そして、トランペットのフレディ・ハバートです。つまり、60年代のマイルス黄金期のメンバーが再結集して、病気療養中であったマイルスの代わりにフレディ・ハバートが参加したユニットがV.S.O.P.クインテットということになります。
2曲目以降は再び豪雨となり、演奏者も観客もずぶぬれになっていたとのことですが、逆にそれが観客との一体感を増していきます。ライナーノーツにもハンコックの言葉として紹介されていますが、「自然のインプロヴィゼーションが演奏者のインプロヴィゼーションを触発」していったようです。前回紹介した『浪漫の騎士』では計算され尽くした演奏技術の極限を聴くことが出来ますが、『ライブ・アンダー・ザ・スカイ伝説』 では即興での演奏技術の極限を堪能することが出来ます。
1997年にはトニー・ウィリアムスがこの世を去り、今回フレディ・ハバートも亡くなりました。しかし、彼らが残した『ライブ・アンダー・ザ・スカイ伝説』 は永遠に語り継がれることでしょう。
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