2008年6月30日月曜日

糖尿病外来はじまりました!


 当院はこれまで脳神経外科・リハビリ病院として脳出血や脳梗塞などの脳卒中に対して一貫した治療を行ってきました。この脳卒中の原因になる病気としては高血圧、糖尿病、高脂血症や最近話題となっているメタボリック症候群などが挙げられます。これらの病気はすべて血管の障害に深く関与する全身病であり、これらの病気をきちんと治療していくことが、脳卒中の発症や再発の予防には不可欠なのです。

 その中でも糖尿病の患者さんは増加の一途をとげ、日本の総人口の5人に1人が糖尿病または糖尿病予備軍という時代がそこまでやって来ています。こうした中で当院でも本年4月より糖尿病の専門外来が始まりました。

 糖尿病は加齢のほか日常の生活習慣が誘因となって発病することが多いため「生活習慣病」といわれています。日本で糖尿病の患者さんが増え続けている理由の1つは、現代社会そのものが糖尿病を増やす生活習慣を生みやすい構造にあるからです。食べ過ぎ、運動不足、ストレス、アルコールの飲み過ぎなどは血糖の上昇を招き、外食産業やコンビニの隆盛、自動車社会の繁栄、肥満の増加、ストレス社会などはすべて糖尿病増加の原因となっています。

 こうした環境の中では膵臓で作り出されるインスリンというホルモンの作用が不足し、そのために個々の細胞が血液の中からブドウ糖を取り込んでエネルギーとして利用することができなくなることで血糖値が上がってしまうのです。このようにして高血糖が持続することが、ひそかに少しずつ確実に血管をむしばんでいきます。最初は細小血管がやられてそのために網膜症、腎症、神経障害といった合併症をひきこおこします。さらには冒頭で述べた脳卒中や心筋梗塞といった大血管病へと進行していくのです。

 それに対して糖尿病の治療も目覚ましい発展を遂げてきました。基本となる治療は食事療法・運動療法ですが、それでもコントロール不良の場合にはインスリンを補充するなどの薬物治療を行います。糖尿病は軽症の時期からの治療が大切です。すでに糖尿病と診断されている方はもちろん、血糖がやや高いといわれている糖尿病予備軍の方も、是非今すぐ適切な治療を始めていきませんか?


医療法人一仁会 石野病院
副院長 椋田稔朗
(日本糖尿病学会専門医)

理事長推薦ロック名盤 第7回

第7回 『ダブル・ファンタジー』 ジョン・レノン&ヨーコ・オノ

 前回、私は「62年68年74年と6年ごとにロックが大きな変化を経てきたので、80年という年がロックにとって大きな節目の年になるだろうと予想していたところ、予想通り衝撃的な事件とともに大変革を迎えることになった。」と書きました。

 「衝撃的な事件」とは何か、タイトルをご覧になってもうお解りですよね。そうです。80年12月に起こった ジョン・レノン殺害事件です。

 1980年12月8日(現地時間)、ニューヨークの自宅アパート前で、ジョンは妻オノ・ヨーコの目の前で、射殺されました。そのとき犯人は、ジョン・レノンのサイン入り『ダブル・ファンタジー』 を手にしていたといわれています。

 当時(もちろん今でも)、私はビートルズの大ファンであり、メンバーの中でとくにジョン・レノンが一番好きだったのですが、テレビ・ニュースでジョンの死を知ったとき、自分でも不思議なくらい冷静でした。というか、「ああやっぱり・・・」という感想を抱いたように記憶しています。ロックのカリスマであったジョン・レノンは、当時に於いてすでに私の中で生死を超越した存在であり、いずれ伝説に残るような最期を迎えるのではないかと漠然と考えていたのです。

 ジョン・レノンはご存知のようにアーティストであると同時に反戦平和活動家でもあり、多くの政治的メッセージ・ソングを残しました。黒人のブルースをルーツに持つロックは、もともとその生い立ちから反体制的な性格を帯びていましたが、70年代の反戦平和運動と結びつき、その性格を強くしていきます。「イマジン」を例に出すまでもなくその中心人物がジョン・レノンです。ジョン・レノンの死は、このような反体制的ムーブメントという意味でのロックの終焉を象徴する事件であったと考えます。

 80年代に入り、楽器や録音機器の発達、演奏技術の向上等による変化はもちろんですが、ロックは音楽そのものの質的な変容を来たすようになります。MTVなどメディアの発達もあり、若者のためだけの反体制的な音楽ではなく、老若男女が楽しめるポピュラー・ミュージックの側面が強くなっていくのです。70年代以前のロック・ファンの多くはそういった性格の強いロックを「産業ロック」と言って揶揄しました。私も当然70年代以前のロック・ファンですので、80年代当時なかなか新しいロックになじめず、好きになれませんでしたが、かといって「産業ロック」と言って批判する人たちには疑問を感じざるを得ませんでした。逆に80年以降のロック・ファンは、70年代以前のロックに対し、音楽性が閉鎖的であることや演奏や録音の技術が未熟であることを理由に挙げて批判的でした。そういった主張にも何度か不愉快な想いをさせられたことを記憶しております。

 なぜこのようなことが起きたのか考えるに、お互いにある種の近親憎悪のような感情を抱いていたのではないでしょうか?70年代以前のロック・ファンと80年代以降のロック・ファンそれぞれが、ロックを画一的なものとして捉え、「ロックとはかくあるべき」というお互いの主張をぶつけ合っていたように思います。

 しかし、70年代以前のロックと80年代以降のロックを、質的に全く異なる音楽であると理解すれば、このような対立軸は不毛であることに気がつきます。「ロックとジャズはどちらが高度な音楽か?ビートルズとマイルス・デイビスはどちらが偉大か?」などという議論は全くナンセンスであることは容易に理解していただけるかと思います。

 では、『ダブル・ファンタジー』の内容に触れていきます。80年の11月17日すなわち死亡する3週間前にリリースされたこのアルバムは、ジョン・レノンにとって生前に発表された最後のアルバムになってしまったわけですが、実は、息子ショーンの育児のための5年間の活動休止後の復帰第一作でもありました。そのため、作品のテーマは家族愛で統一されています。かつての直接的な政治的メッセージを含んだ楽曲はひとつもありません。「ビューティフル・ボーイ」や「ウーマン」をはじめとする美しい詞やメロディーを聴くたびに、まもなく訪れることになるジョンの死を知るべくもないジョン・レノン一家の家族愛を感じ胸が熱くなります。また、サウンド的にも親しみやすい作品に仕上がっています。そういった意味では70年代ロックの総括的な作品と言うより、80年代の幕開けを告げる作品と言ったほうがいいのかもしれません。

 ジョン・レノンの死が1980年で、この年を境に大きくロックが変容していくという私の話に「それは単なる偶然だ」と反論される方も多いと思います。確かに、例えジョンが亡くならなかったとしても、テクノロジーや演奏技術の向上やロックの市場拡大は訪れ、産業化は進んでいったと思います。事実『ダブル・ファンタジー』を聞いても80年代の息吹は感じられ、ジョン・レノンもその流れに乗り遅れることはなかったと思います。しかし、今の時代においてもロック界最大のカリスマであるジョン・レノンの死が、スピリチュアルな意味でその後のロックの流れに大きな影響を与えたことは間違いないと確信します。

 ロックというのは破壊と創造を繰り返し、変容し続けていく音楽です。時代や地域によって著しい質的相違が生じます。固定観念に捉われるのではなく、その相違を認識し許容することがロックを楽しむコツではないでしょうか?

 シリーズとしての「理事長推薦ロック名盤」はとりあえず今回が最終回です。私の連載を読んでいただき、70年代ロックを聞いたことがないという方に少しでも興味を持っていただいたのであればこの上ない幸せです。出来ましたらレンタルでもいいので、私がご紹介したCDを一度聞いてみてください。例え好みに合わないとしても、何かを感じていただけると信じています。

 それではまた。

 次回は「理事長推薦ロック名盤番外編」をお贈りいたします。


医療法人一仁会 石野病院
理事長  岡田 純